新しいブログへ移行します

 音楽についてのブログもそろそろ終わりにしたいと思います。音楽テーマに絞ったブログの投稿を頻繁に行うことが難しくなりました。
 そこで、同じ<はてなダイアリー>で下記の新しいブログへ引き継ぎます。本を読みながら考えるというコンセプトです。
 新しいタイトルは 平成の書見台<Takao Kurataの読書日記>です。URLは次のとおりです。
http://d.hatena.ne.jp/inochinooto+alsosprach/
 本当は他のブログにしようと会員登録してIDも取得し、一度は公開したのですが、やはり不満があり、慣れた<はてなダイアリー>に変更しました。サイドバーやアクセス解析などは他のブログが進んでいますが、<はてなダイアリー>は、記事がすぐにGoogle検索の上位に置かれるなど、それらを補って余りある優れたブログです。
 これからもよろしくお願いいたします。
 なお、平成の蓄音機も、時々は新しい投稿をしたいと思いますので、当分このままにいたします。

インテルメッツオ(ちょっとひとやすみ)(5) ジャズとイージーリスニングで聴く<ダニー・ボーイ>

 徳川から明治へと時代が移り、西洋音楽を音楽教育に取り入れ始めた日本は、当初全く伝統のないこの分野、主に唱歌などに外国の歌のメロディに日本語の歌詞を無理やり付けて歌うことから始めました。いわゆる翻訳唱歌です。その中でも、最も日本人の心情に合ったのは、民謡を中心としたアイルランドスコットランドイングランドの歌、あるいはドイツなどの歌でした。明治も後半になって、ようやく瀧廉太郎や山田耕作中山晋平本居長世などの日本人の作曲家を輩出することになるのです。
 アイルランドの歌では、<ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)>や<夏の名残りのバラ(庭の千草)>や<アイルランドの子守唄>など、スコットランドの歌では、<アニー・ローリー>や<ロッホローモンド>、あるいは<蛍の光>や<故郷の空>、イングランドの歌では、<グリーンスリーブス>や<埴生の宿>、<メリーさんの羊>や<ロンドン橋>など。
 これらのいくつかは、小學唱歌全3編などに入っています。ただ明治期の唱歌集での外国曲の全貌については、まだよく分かっていない部分も多いのです。
 さて<ロンドンデリーの歌>すなわち<ダニー・ボーイ>は古くから愛唱されている名曲で、かつては、”ハリー・ベラフォンテ”や”アンディ・ウイリアムズ”、そして”エルヴィス・プレスリー”や”トム・ジョーンズ”、新しいところでは”ケルティック・ウーマン”や”ジェイド・イン”が美しい歌声を聴かせています。これらをアップロードしたブログも沢山あるようます。
 東日本大震災を経験した後、日本の中枢を担う政界や官界や財界の大立者たちの猿芝居、あるいは大メディアやそこに寄生する学界や言論界のオピニオン・リーダーたちの愚劣な言動を延々と見続けさせられて、いい加減心がささくれ立ってしまっているこの頃、なぜかこの懐かしい曲を、干天に慈雨を求める弥生人の如くふっと耳にしたくなりました。ここでは、ジャズとイージーリスニングから選んで心の慰めとしたいと思います。(これらの素晴らしい演奏をアップロードして下さった方々に、心から感謝いたします。)
 まずは、ビル・エヴァンス(左下)、キース・ジャレット(右下)です。ジャズが芸術を意識するとこうなるという見本のような演奏ですが、あるいは面白くないと感じる向きもあるかも知れません。

 次は、ベン・ウェブスター(左下)と、アート・テイタム(右下)の演奏に耳を傾けてみます。ウェブスターはイージーリスニングの一歩手前で、面白おかしく演奏しています。(3曲演奏される2曲目)
 また、テイタムのピアノ演奏の手練(てだれ)ぶりと即興の素晴らしさは驚くべきものがあります。

最後に、イージーリスニングの王者、サム・テイラー(左下)と、シル・オースティン(右下)のむせび泣くような(何と通俗的な!)テナー・サックスの調べを聴きながらとことんくつろぎましょう。オースティンのサービス精神の横溢した、いかにも大向こう受けしそうな演奏はお見事の一言です。

この名曲にこの名演あり(4)オットー・クレンペラーのバッハ<ロ短調ミサ曲> 

 クレンペラーは殆ど忘れられた部類の指揮者に入ると思われます。私の世代でさえフルトヴェングラーワルタートスカニーニ、あるいはカラヤンムラヴィンスキーバーンスタインなどが最前線の指揮者で、クレンペラーはずっと地味で陰に隠れた名指揮者といった存在でした。
 しかし今でも、宗教曲においてクレンペラーが到達した演奏の芸術的高みは他に抜きんでています。それは、ベートーヴェンの<荘厳ミサ曲>であり、バッハ<マタイ受難曲>であり、なかでもバッハ<ロ短調ミサ曲>こそは(私見ですが)未だにこれを超える演奏のない屈指の名演です。
 例えば<キリエ>の悠揚迫らぬポリフォニックな曲の構成感と威厳に満ちた音の流れは、他のどの指揮者の追随も許しません。またBBC合唱団のひたむきで圧倒的な合唱力の素晴らしさも筆舌に尽くし難く、あたかも初めて原罪を知った人間の魂の叫びのような悲劇的色合いさえ帯びています。
 ブレスラウ生まれのユダヤ系ドイツ人指揮者であるクレンペラーは、幾多の病気や事故、あるいは政治的な苦難から不死鳥のごとく幾度となく甦った不屈の男で、70歳頃(1956年)になってようやくロンドンのフィルハーモニア管弦楽団(1964年以降はニュー・フィルハーモニア管弦楽団)という理想的なオーケストラを掌中にし、長年の苦闘の人生と音楽的研鑽が実を結ぶお膳立てが整ったのです。
 このロ短調ミ曲サあるいは荘厳ミサ曲、マタイ受難曲といった畢生の名演の録音は殆どがこの時期に集中しています。
 ロ短調ミサは1967年の録音ですから何とクレンペラー82歳での神韻縹渺たる歴史的名演です。独唱陣も、アグネス・ギーベルやジャネット・ベーカー、ニコライ・ゲッダやヘルマン・プライといった錚々たる当時のトップ・プレーヤーを集めた万全の布陣となっています。
 また、コンティヌオ(通奏低音)の鍵盤楽器として、イギリスのノエル・マンダー社のポジティフ・オルガンが使われており、曲全体に重厚で敬虔な味わいを濃く漂わせています。
 この曲ではほかに、グスタフ・レオンハルト=ラ・プティットバンドの演奏が、バッハの普遍性をとことん極めた名演であると思います。自然で澄明、古楽器の可能性を目一杯引き出した現代のスタンダードと言っても過言ではありません。
 それにしても、来日が中止になったヘルヴェッヘのロ短調ミサが聴きたかったと、今更ながら福島原発の事故を深く恨みます。
 左下がクレンペラー、右下がレオンハルトのCDです。
  
 クレンペラーの宗教曲はロ短調ミサ曲を含め、you tubeにはありませんので、代わりに、指揮をしているクレンペラーを観ることのできる、ベートーヴェン交響曲第>の第4楽章(左下)と、クレンペラーの代表的名演でもあるマーラーの<大地の歌>の最終部分(クリスタ・ルードウィッヒの渾身の歌唱が心を打ちます。右下)を聴いてみます。
  

バッハフェスト・ライプツィヒ


 ライプツィヒで開催されている<バッハフェスト>のサイン・ボードを掲げたライプツィヒ中央駅の写真が娘から送られてきました。
 毎年6月に開催されているようで、ベルリン在住ながら、ライプツィヒをこよなく愛している娘は、何かにつけてかの地を訪れているようです。

この名曲にこの名演あり(3)チェリビダッケ=ミュンヘン・フィル、ほか百花繚乱の<ブルックナー交響曲第8番> 

 1975年8月1日から18日までNHK/FMで放送されたシュトゥットガルト放送交響楽団の連続演奏は、当時幻の指揮者と言われたセルジュ・チェリビダッケの演奏がまとめて聴ける貴重な機会でした。勿論私はそのほとんどをテープで録音しています。35年以上経って音は劣化していますが、今でもそのテープを何とか聴くことができます。

 当時、シュトゥットガルト放送交響楽団には音楽監督チェリビダッケのほか、ミヒャエル・ギーレンとウリ・セガルという2人の個性豊かな客演指揮者もおり、極めて充実した音楽環境を誇っていました。初めてこれだけまとまってチェリビダッケの演奏を聴ける機会を得て、まさしく胸の高まる思いでした。
 このときNHK/FMで放送された曲目は以下のとおりです。

8月1日
1、ベートーヴェン交響曲第8番>:S.チェリダッケ
2、プロコフィエフ<舞踏音楽「ロメオとジュリエット」>:ウリ・セガ

8月11日
ベートーヴェン交響曲第3番>:S.チェリビダッケ
4、ブラームス交響曲第4番>:S.チェリビダッケ

8月12日
ストラヴィンスキー<舞踏音楽「妖精のくちずけ」>:S.チェリビダッケ
6、モーツアルト交響曲第39番>:S.チェリビダッケ

8月13日
ブルックナー交響曲第8番>:S.チェリビダッケ
8、ルトスワフスキー<葬送の音楽>:ウリ・セガ

8月14日
9、ベートーヴェン<ピアノ協奏曲第3番>:ウリ・セガル、ラド・ルプー(P)
8月15日
10、シェーンベルク<モノドラマ「期待」>:ミヒャエル・ギーレン、アニア・シリア(s)
8月18日
11、ラヴェルボレロ>:S.チェリビダッケ
12、ブラームス交響曲第2番>:S.チェリビダッケ
13、チャイコフスキーフランチェスカ・ダ・リミニ>:S.チェリビダッケ

 録音し損なったものがあるかも知れませんが、大体こんなところです。
 これらは皆、1974年11月から1975年4月にかけて、シュトゥットガルトの<リーダーハルレのベートーヴェンザール>で行われた演奏会の記録です。若杉弘さんが解説しています。

 これらの曲の中で、最も繰り返し聴いたのは、<ブラームス交響曲第4番>と<ベートーヴェン交響曲第3番>でした。ともにオーソドックスでありながら、音楽表現の限界に挑んだ極め付きの、マエストロの名に恥じない名演です。また、<ラヴェルボレロ>は何ともいえない色気と洒脱さを感じる名演です。
 1912年7月11日生まれのチェリビダッケは、1971年から1979年までこのオケの常任指揮者を勤めましたが、指揮者として最も脂の乗った時期に当たります。これらの演奏は 全てエネルギー感に満ち満ちており、躍動感に富む縦横な表現力が満開といった趣があります。チェリビダッケ人間性に潜む悲劇の契機を完全に理解し、英雄的気質を持った、まれにみるマエストロでした。
 さて、これらの演奏の中でもブルックナーの<交響曲第8番>こそ、巨匠の手になるあらゆる交響曲の森の傑作中の傑作であり、チェビダッケこそこの偉大な作品を演奏するに最もふさわしいマエストロの一人なのです。

 今まで、この曲についてはレコードやCDで、様々な演奏に接してきました。フルトヴェングラーベルリン・フィルのゲルマン的激情。カール・シューリヒト=ウィーン・フィル(写真左)の説得力のある変幻自在な指揮ぶり。それが私の固陋な予定調和的想念を打ち砕いたあと降臨してくる痺れるような快感、それに微かに漂う十九世紀の香り。カラヤンウィーンフィルの高度に耽溺的な美学者ぶり。あるいは、宇野功芳氏が絶賛した巨人ハンス・クナッパーツブッシュミュンヘン・フィルの雄渾(改訂版、写真右下)。ギュンター・ヴァント=ベルリン・フィル(写真右)のライブの練り上げ磨き抜かれて拝跪したくなるほどの音の神々しさ。あるいはジョージ・セルクリーヴランドの、意外に腰の据わったスケール感、などを愛してきましたが、かつて何気なしにエフゲニー・ムラヴィンスキーレニングラード・フィルのレコード(写真左下)でこの曲を耳にして一驚したことを思い出します。そこにあるのは魂の奥底に響く、しかも極北の鋼鉄のような冷徹な造形の妙であり、それでも蔽いきれぬムラヴィンスキーの人間としての高貴さが滲み出た何という凄い演奏でしょう。レニングラード・フィルのトゥッティの凄まじさも比類がありません。なお、昨今の指揮者の中では(カラヤンやヴァントと共に)少数派となった<ハース版>による演奏です。(他はほとんどがノヴァーク版)しかし残念ながらモノーラルであり、音源としてはやや不満が残ります。これが優秀なステレオ録音であったらと悔やまれます。(それにしても、LPの解説の西村弘冶氏の<核心を衝くムラヴィンスキー>と題したムラヴィンスキーへのこれでもかと言わんばかりの賛辞は凄まじいものがあります。)


 録音状態も考え併せて、やはり今はチェリビダッケで聴くのがベスト・チョイスでしょう。彼は、1975年のこのライブと同時期に、同じシュトゥットガルト放送交響楽団で別のライブ演奏をCDに残しています。(1976年11月23日)

 
後年のミュンヘン・フィルとのライブ(1993年9月、写真右)も極めて遅いテンポ(実に、104分13秒)に当初は少し面食らいましたが、聴きこむほどに、一音一音の味わい深さ、スケールの大きいAwesomeな演奏にすっかり魅入られてしまいました。アファナシェフの時も感じたのですが、異様に遅いテンポというものは、音楽の底に魔法で閉じ込められ潜んでいた何ものかを引き出してくれるような気がします。まるで譜面を舐め尽くすような悠然たる音の流れの中から、一音一音がさも意味ありげに立ち上がってくるようです。しかし、あまりに遅過ぎればもたれ気味となって曲そのものを崩壊させてしまう危険性もあり、実に危ういバランスの上に立つことになります。その点、少なくともこの演奏はチェリビダッケの強靭な腕力によって、上記のような危険から免れて、十分所期の効果が上がっているように思えます。

 
 それに比べシュトゥットガルト放送交響楽団の演奏の方(83分20秒、写真左)は、枯淡や韜晦の気配を微塵も感じさせない精気のみなぎった、ブルックナー交響曲第8番という高みに直球勝負で挑み、前者に比してテクスチュアーがややプレーンで、曲想に過度に深入りするということもなく、聴く者に素直な感動を与えてくれます。
 それにしても、巨匠ブルックナーの手になる一大傑作をひとりの指揮者=オケに絞り切るのは矢張り無理だったようです。

 チェリビダッケについては、you tubeラヴェルの<ボレロ>がアップロードされています。ちょっと覗いてみましょう。

 これは1971年の演奏で、オケは多分1960年から1963年まで首席客演指揮者であったデンマーク王立管弦楽団です。壮年のころのチェリビダッケの颯爽として洒落っ気に富んだ名指揮ぶりを見ることができます。まるで、生国ルーマニア最大のアンチ・ヒーロー<ドラキュラ伯爵>そっくりではありませんか。(少なくとも、ドラキュラ役で名を上げたクリストファー・リーよりも嵌まっているように思えますが。)

 最後に<ブルックナー交響曲第8番第3楽章>の途中の部分を、チェリビダッケミュンヘン・フィルとの演奏で聴きたいと思います。それと、来日時の演奏で、第4楽章(フィナーレ)です。
 

ベルリン・フィルハーモニーホールのクラウディオ・アバドとマウリツィオ・ポリーニ<続・ベルリンの娘からの便り>

 ベルリン在住の娘から、5月15日のベルリン・フィルハーモニーの演奏会の様子がスナップ写真とともにメールで届きました。
 クラウディオ・アバド指揮のベルリン・フィルハーモニー・オーケストラの演奏で、ピアノがマウリツィオ・ポリーニということでした。(32ユーロだったそうです。安い!)
 プログラムは、モーツァルトの<ピアノ協奏曲第17番K453>と、マーラーの<交響曲第10番(デリック・クック版)>で、以下のようなメモが添えられていました。
アバドポリーニは息ぴったりという感じですごくよかったです。1と2楽章の間のちょっとした間のときに、ポリーニがオケの方をにこやかにうなずきながら見わたしていたのがとてもいい感じで、観客も和みました。
 最後の曲、マーラーが終わり、何回もの指揮者の挨拶(出入り)や花束贈呈も終り、オケもみんな退場して普通ならこれで終わるのに、まだ一部の客からブラボーと拍手は止みません・・・。こんなのは初めてでした。そしたら最後にまたアバドが一人で出て来てくれました。さすがに大人気なのですね。」
 前の常任指揮者アバドに対するベルリン市民の敬意と感謝をこめた暖かい歓迎ぶりがよく分かります。
 ポリーニのソロ・リサイタルが次の火曜日にあるそうで、これも聴きに行った後に報告が入ると思います。
 以下は送られてきた写真です。左下は大ホールの様子、右下はロビーの大勢の聴衆の様子です。

 また、左下はアバドポリーニ、右下は演奏終了後に姿を見せたアバドです。

フィルハーモニーホールのバレンボイムとクレメール<ベルリンの娘からの便り>

 東日本大震災の直前の3月6日にドイツから日本へ帰国していた娘が、4月6日にベルリンへ戻りました。
 その娘から、4月23日のベルリン・フィルハーモニー大ホールで行われた演奏会の写真をメールで送ってきました。ダニエル・バレンボイム指揮のシュターツカペレ・ベルリンベルリン国立歌劇場付属管弦楽団)の演奏で、ギドン・クレメールとの共演によるベルクのヴァイオリン協奏曲と、ブルックナー交響曲第3番だったそうです。
 感想によれば、バレンボイムは激しい指揮で、いつか指揮中に倒れてしまうんじゃないかと思ったそうです。
 5月はポリーニの演奏会があり、これも聴きに行くそうです。


 また、いいピアノの先生が見つかったとかで、ライプツイヒへ日帰りで行った際に、5月17日から始まる<国際マーラーフェスティヴァル>の開催大きなサインボードを掲げたゲヴァントハウス・ホールの写真を送ってきました。昨年9〜10月のドイツ旅行を懐かしく思い出しました。