独逸旅行日記(1) ライプツィヒ<ゲヴァントハウス>でヘルベルト・ブロムシュテットを聴く

 9月29日12時31分成田からルフトハンザ機でミュンヘン経由ライプツィヒに向け出発、ヨーロッパへは初めての旅行です。在ライプツィヒの娘が10月から大学に進む予定なので、それに合わせて思い切って出かけることにしました。
 ライプツィヒ空港着は現地時間20時20分(ヨーロッパはサマータイム実施中なので、日本との時差は7時間)で、娘の迎えを受けました。それから空港からライプツィヒ中央駅まで列車で約15分です。

 左は現地時間20時50分頃、ライプツィヒ中央駅に到着したときの駅の様子ですです。
 ドイツ一立派な駅だとのことです。ライプツイヒは人口50万人ほどで、旧東ドイツです。私がライプツィヒという名前を知ったのは、高校時代に初めて買ったLPレコードによってです。それはブラームスのヴァイオリン協奏曲で、ヴァイオリンがダヴィッド・オイストラフ、伴奏がフランツ・コンヴィチュニー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団だったからです。そのコンヴィチュニーの息子さんのペーター・コンヴィチュニーは、世界的に著名なオペラ演出家ですが、父親との縁かどうか、ライプツィヒ歌劇場の首席演出家として活躍していることはよく知られています。娘がライプツィヒ知りあった日本の方が、コンヴィチュニーに演出を学ぶためにこちらに滞在しているとのことでした。
 翌9月30日は、娘の案内で、午前中は「聖ニコライ教会」「ゲヴァントハウス」を訪れ、ゲヴァントハウスの1階のCDショップではジョルディ・サヴァールエスペリオンXXの<フーガの技法>を買い求めました。

 
 左は朝の聖ニコライ教会へ向かう通りです。
 右は昼食を食べた日本料理店「大和」の寿司定食と刺身定食です(ザ・ウエスティン・ホテル内)。よくこれだけ刺身の材料を集めたものと感心しました。ご飯がもうすこしふっくらと水気を帯びた方が良かったと思いますが、ないものねだりでしょう。宿泊したホテルの近くにも寿司店がありましたが、案内書によれば、「大和」がライプツィヒ随一の日本料理店だそうで、値段はやや高めです。私がビールを一本飲んで二人で45€でした。
 ただ、ライプツィヒで日本人に会うことはありませんでした。ここはドイツにとっては歴史的にも文化的にもまことに重要な町ですが、日本人の観光という観点からはやや地味な町なので、ツーリスト会社もツァーに組み入れにくいのでしょう。娘の語学学校(大学関連だそうです)では、多くの中国人、なぜか何人かのキプロスの人、それにベトナム人もいたそうです。勿論日本人もいたそうですが、クラスが異なるため、あまり話す機会はなかったと言っています。

 午後は念願の聖トマス教会を訪れました。教会の椅子に座っているだけで、大きな感慨が襲ってきました。ついにここへ来ることが出来たかと思うと、様々な思いが心身を駆け巡り、深い満足感がこみ上げてきます。こんな瞬間が来るとは今まで本当に夢にも思いませんでした。どこからかバッハの息づかいが聞こえるように感じたのは単なる錯覚だったのでしょうか。
 なお、聖ニコラ教会も、聖トマス教会も以前のブログに沢山写真を載せましたので、ここでは省略します。また、ここでもついぞ日本人には出合いませんでした。
 
 街の電柱のあちこちに、左のようなポスターが掲げられていたのに気付きました。ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮姿です。30日と10月1日に、ゲヴァントハウスで演奏会(Grosses Concert)が開かれるのです。午前にゲヴァントハウスを訪れたとき、チケット・カウンターで入場券を求めましたが、2日間とも売り切れだという事でした。念のため街のチケット・ギャラリーを訪れたところ、何と入場券があるではありませんか。価格はゲヴァントハウスのチケット売り場の価格43€にギャラリーの手数料4€が加算された47€でした。それも一番いい席です。日本では考えられない安さです。
 ブロムシュテットはゲヴァントハウス管弦楽団の名誉指揮者で、現在のカペルマイスター(楽長とでも言うのでしょうか)のリッカルド・シャイーの前のカペルマイスターでした。(1998年〜2005年)
 前述のフランツ・コンヴィチュニーは1949年〜1962年のカペルマイスターでしたが、このオーケストラは、何と言ってもクルト・マズアが1970年から26年間にわたって君臨し、カリスマ的存在となっていたことに大きな特徴があります。ホーネッカー失脚やベルリンの壁崩壊の端緒とも言える1989年10月9日のニコライ教会の「月曜デモ」に際して、これを無血で終わらせたことに大きな功績があったということで、ドイツのみならずフランスからも勲章を授与されるなど、ヨーロッパ中から高い評価を受けるようになりました。
 
 これは、8時開演を前に、7時半頃のゲヴァントハウスのホールの写真です。
 
 これは演奏前のホール内の様子です。
 プログラムは、ウェーバーの「オベロン序曲」、アラベラ・シュタインバッヒャーのヴァイオリン独奏で、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲KV218」、それにブラームスの「交響曲第1番」です。シュタインバッヒャーは母親は日本人ということです。
 実はモーツァルトの始まる前に面白いエピソードがありました。オケのメンバーがほぼそろって位置に着いたあとで、若くて華奢な感じの美人(らしい)女性が、一人ヴァイオリンを抱えてゆっくりと入場してきました。聴衆は独奏者と思い一斉に拍手をしたのですが、何と彼女は落ち着き払って第1ヴァイオリンの席に座ったのです。とたんに会場は勘違いに気付いた聴衆による爆笑の渦に沸きました。なぜかそこに、ほのぼのとした温かいものを感じました。聴衆はみな、我が町のオーケストラを愛しているのだと、つくづく感じさせるエピソードでした。
 ブロムシュテットはこの曲の時だけ指揮棒を用いずに、独奏者を心からいたわるように、独奏者が演奏しやすいように、実に丁寧に伴奏を務めていて、大変好もしく思いました。曲が終り、拍手に応えて独奏者とともに舞台に現れた時、一度目は三歩下がって独奏者に拍手を送り、二度目は五歩下がって拍手を送っていました。実に気配りの名人、人生の達人だと思いました。
 ブラームスは、ブロムシュテットが82歳とは思えないようなエネルギーと集中力に満ちた、しかも枯淡の味わいもある円熟した演奏で、すっかり堪能しました。オケの音も、熟成した葡萄酒のような味わいのある伝統を感じさせるものがありました。
 you tubeにある映像で、ブロムシュテットの指揮する姿を少し観てみたいと思います。マーラー交響曲第9番の第1楽章の冒頭の部分で、オケはN響です。

 今回は、特に音楽を聴くためというのではなく、初めて訪れるヨーロッパという過去から現在へと連綿として積み上げられてきた歴史・文化の裏表の総体を心身で味わうためと、娘のドイツの大への進学の打ち合わせのためでした。しかし、偶然とは言え、こんな素晴らしい演奏が聴けるとは、何と言う幸せであったでしょう。(ベルリンでのアンドラーシュ・シフの演奏会に巡り合ったのも同じく偶然でした。)

 10月2日にプラハへ向かうまでライプツィヒに滞在しましたが、それまでのスナップ写真をいくつか披露します。
 


 左上がゲヴァントハウス内のメンデルスゾーン像、右上が聖トマス教会前のカフェ・カンドラーの内部、下がゲヴァントハスの2階から見たライプツィヒ歌劇場です。

 

 これは、ゲーテ森鴎外が通い、ゲーテの「ファウスト」にも登場するという、ライプツィヒ随一のワイン酒場レストラン<アウアーバッハス・ケラー>です。10月1日の夜に食事に訪れました。
 左から順番に、メードラー・パッサージュにある地下の店を示す看板、店の入り口、そして下が店の内部です。

 ドイツでは毎日ビールを飲みましたが、日本のビールに比較して味がまろやかでライトな感じがして、飲みやすさは抜群です。普段はあまりビールを飲まない娘も、ドイツビールだけは(次のチェコでも)口にしていました。1/2リットルのジョッキを2杯飲んでも大して酔いません。いわば水代わりです。ドイツのビールは極めて種類が多く、食事の都度選択に迷うほどです。
 また、ドイツでは日本のようにタダで水は出てきません。お金を出してミネラル・ウオーターを買う必要があります。しかも炭酸入りのものが多く、注文の際は、炭酸入りかどうかを指定しなければなりません。
 さて、10月2日には娘とともに列車でフランツ・カフカの故郷、迷宮都市プラハへ向かいます。