スクロヴァチェフスキー指揮で、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」を聴く

 10月2日、読売日響第564回サントリーホール名曲シリーズを聴きに行く。左は、カラヤン広場から見た夕闇迫るサントリーホール

 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキーの指揮で、曲目はベルリオーズ「劇的交響曲ロミオとジュリエット>」から”序奏””愛の情景””ロミオひとり””キャピュレット家の大饗宴”及びショスタコーヴィッチ交響曲第5番で、勿論お目当てはショスタコーヴィチである。

 驚いたのは、スクロヴァチェフスキーが10月3日に、何と90歳を迎えるとのこと。(私なんぞはまだ若造だ!)
 私の座席は、2列30番、ステージに向かってかなり右側で、指揮者の動きや表情がはっきり見える絶好のロケーション。加えて、左に向きをとれば、すこぶるつきの美人コンサートマスター、日下紗矢子さんの演奏する神々しい姿が真正面に見え、思いがけない眼福をいただき感謝した次第。(不謹慎!)日下さんは、ショスタコーヴィチ作品の第2楽章のヴァイオリン・ソロがまことに繊細かつ艶やかで、心奪われながら惚れ惚れと耳を傾けたのであった。(?#!∠∨)

 休憩時間にロビーへ向かう際、通路側の座席に、大江健三郎氏のご家族が座っておられるのを見てびっくりした。
 
 読響は初めて聴いたが、分厚い低音部が印象的で、全般的に演奏は高い水準にあると感じた。スクロヴァチェフスキーは、少し背を丸めながらも矍鑠(かくしゃく)たる熱演ぶりで、オケのメンバーもこの老指揮者のオーラが乗り移ったかのごとく、憑かれたように必死で演奏しているように見えた。

 ロシアものが得意な読響らしく、また百戦錬磨の指揮とも相俟ってとても面白く聴くことができた。ただ、第4楽章のフィナーレに突き進みつつ、大太鼓やシンバルが大音量で打ち鳴らされ、管楽器群が咆吼する音響世界の中で、私は言いようのない空虚さを感じていた。ショスタコーヴィチはどこかしら空虚な相貌を帯びている。”空虚”とは”虚無”でもあり”空疎”でもある。そしてそれが意識に入りこむと”不安”が生れる。それは、人間の生に本来潜む感覚、普段は忘れ去られている人間存在の深い淵を覗く感覚なのである。ショスタコーヴィチの音楽は執拗にそれを表現しようとする。
 ゲオルグビューヒナーは断章劇『ヴォイツェク』で、主人公に「人間はどいつもこいつも深い淵だなあ、のぞきこむと眼まいがする。」と言わせているが、その深い淵がそれだ。(このセリフは、アルバン・ベルクが改訂した『ヴォツェック』のリブレットの第2幕第3場にもある。)

 さて、宇野功芳氏はショスタコーヴィチ交響曲を評するのに”ハラワタ”を用いた表現を常用する。例えば「彼のハラワタは裂けて体外にとび出し」「「ハラワタがよじれるような苦しみを表出する」などだが、『クラシックCDの名盤』(文春新書)では、第4番、第8番、第10番の評に”ハラワタ”表現を使っている。第5番には使ってないが、しかしこの曲も無論”ハラワタ”がとび出す曲だ。
 一体宇野は、”ハラワタ”で何を言わんとしているのだろうか。ショスタコーヴィチはシェストフを生んだ国の芸術家である。彼はシェストフの思想に更に”恐怖”の感覚を加えた。”ハラワタ”は、空虚と不安と深淵、それに恐怖をないまぜにしたものを実存的に表現したものなのだろう。

 この作品にはかまびすしいエピソードが付き纏っている。そうした経緯については、ローレル・E・ファーイのショスタコーヴィチ ある生涯』132〜139頁に詳しいのでここでは述べないが、ただムラヴィンスキーによる初演の際、「その場に居合わせたある者は、ラルゴの最中に男女を問わず、観客が人目も気にせず声をあげて泣いていたと、そのときの思い出を語っているし、また別の者の記憶では、最終楽章が終わりに近づくにつれて、聴衆が一人また一人と起立し始め、演奏が終了してムラヴィンスキーがスコアを頭上で振ったとたん、耳をつんざくほどの拍手喝采が沸き起こったという。」というエピソードを挙げるにとどめてておこう。
 この曲のCDでは、何といっても、1973年5月26日、ムラヴィンスキーの来日時に東京文化会館で行われたライブ録音が他を圧倒する凄い演奏である。

<余談>
 かつて詩集『お任せ料理店』(土曜美術社、1985.10.20)で、詩の一部にこの曲のことを書いた。拙いながら下記にその部分を引用してみる。

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   お任せ料理店
 
     (略)

 つと耳をそばだてれば
 わが耳朶をうつ稠密な弦のうねり
 そもいかなる天上の調べかと思いしに
 やれ、お任せ料理店S庵の背景音楽(ビージーエム)
 ただただショスタコーヴィッチ1937年の作
 交響曲第5番作品47、その
 天使わが脳味噌を啜るが如きラルゴ

     (略)