フルトヴェングラー「ブラームス交響曲第4番」―涙なくしては聴けぬ、などなど、ブック・オフのお手柄

 ブック・オフには少ないながらもクラシックのCDが置いてある。通勤経路にある某店へ何気なく寄ってみて驚いた。宝の山にぶち当たったのだ。掘り出し物が続々とあるではないか。ブック・オフのお手柄だ。で、取りあえず以下のCD6枚を買い求めた。

1、ショスタコーヴィチ 交響曲第15番 ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル
2、ショスタコーヴィチ 交響曲第5番&第9番 ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団
3、ベートーヴェン 交響曲第9番 フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団
4、シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」 テンシュテット指揮ベルリンフィル
5、ブラームス 交響曲第4番 フルトヴェングラー指揮のベルリンフィル(1948年11月のライブ)
  モーツアルト 交響曲第39番 フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル(1942年)
6、ベートーヴェン 交響曲第7番 フルトヴェングラー指揮ベルリンフィル
  ワーグナー ワルキューレの騎行パルジファル第1幕の前奏曲ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕の前奏曲
  フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルベルリンフィル




 以上締めて、金3,200円也は安い!確か2枚がそれぞれ1,000円前後(ムラヴィンスキーゲルギエフ)、残り4枚が1枚250円という破格の値段。

 テンシュテットシューベルト「ザ・グレート」は始めて聴いたが、オケの鳴らし方が抜群に上手い。ベルリンフィルの技量を十二分に生かした音感の優れた演奏だ。各パートの生き生きとした掛け合いが素晴らしい。リズム感は、これぞテンシュテットと思わせる乗りの良さ。全体にシューベルトの音楽のエッセンスが実に自然に流露している。まことに優雅でセンスの良い演奏だ。また、この演奏にもテンシュテットに本質的に内在する悲劇性の感覚が深く沈潜しているのを聴き取れるのは私の思い過ごしだろうか。言い換えれば、そこはかとない”人の世の寂しさ”の感覚だ。
 テンシュテットは「マーラー交響曲全集」を座右において愛聴しているが、これがロンドンフィルではなくて、ベルリンフィルだったらな、とつくづく溜息が出る。先頃の都響でのカエターニによる演奏を聴いて以来、すっかりこの曲のファンになった。

 フルトヴェングラーブラームス交響曲4番、本当に久しぶりに聴く(何十年ぶりだろう)。冒頭から聴く者の肺腑をえぐるような悲劇性と毅然として立つ指揮者の人間的な気高さが織りなすテクスチュアが見事だ。第1楽章終盤の怒涛のように押し寄せてクライマックスへ向かう音の嵐は、冥府へのきざはしを一段深く降り立った者の驚きと諦念を表している。

 第2次大戦後間もないこの時期(1948年11月)に、幾多の苦難を乗り越えてベルリンフィルのホールに立つフルトヴェングラーの心情を思いやるとき、まことに涙なくしては聴けない。第2楽章に表現された寂寥感が惻惻(そくそく)として胸を打つ。

 第4楽章のパッサカリアは、フルトヴェングラーの万感の思いが凝縮したものだ。ことさらあざとい演奏ではなく、ギリシャ悲劇のような端正な面持ちで、この古典的な構成の作品をむしろ抑制的に演奏している。それが却って作品の悲劇性を際立たせる効果を生んでいると言えよう。

 ムラヴィンスキーショスタコーヴィチ交響曲第15番は、今まで聴いたこの曲の演奏の中では、最もこの曲が理解できる鋭い分析力に富む演奏だ。ところで、宇野功芳は、シュスタコーヴィチの最高傑作に挙げているが、私には今一つ理解できない。何度聴いても、集中力を持って聴くことができないのは不思議だ。僅かに作曲者の力の衰えを感じ、緊張が途切れそうになっている感じがするし、各楽章も有機的な繋がりを欠いているように思える。
 しかし、『レコード芸術』2005年8月号の「ショスタコーヴィチルネサンス」では、指揮者のミハイル・プレトニョフ井上道義、あるいは大川繁樹や木幡一誠が、ショスタコーヴィチの好きな作品の筆頭に挙げている。
 どうやら私の理解力不足ではないかと考え、この曲を集中的に縦横斜めのあらゆる角度から聴いてみた。(時には、ルドルフ・バルシャイの演奏も交えて二十回近くになった。)すると不思議、次第にこの曲の充実ぶりが聴きとれるようになってきた。まあ”ようやく見えてきた”という感じだが。
 ところで、この曲はショスタコーヴィチにしては変っている。彼のほとんどの曲は長大な第1楽章を持つが、この交響曲は第2楽章が長大かつ充実していて、第4楽章とともに大変聴きごたえがある。
 この曲を褒める大多数の評は、例えば井上道義「彼の人生を集約したような美しい孤高な曲」という言葉に代表されるし、プレトニョフのようにクラシック音楽最後の傑作」と持ち上げる人もいる、うーん・・・。

 ショスタコーヴィチについて語る者はなぜか饒舌になる。彼の生きた時代(主に、スターリン時代)の恐怖に満ちた数々の事件や雰囲気、また政治に翻弄された彼の数奇な運命が直截に音楽に反映されていると思えるからだろう。ショスタコーヴィチは、(ムラヴィンスキーも同様だが)幾たびかの生物的生命や社会的生命の抹殺の危機を回避しつつも、自らの芸術家としての良心をぎりぎりで貫くために取らざるを得なかった韜晦するドラマツルギーが、時に音楽そのものを晦渋にしたりことさら冷酷とも思える装いを纏わせることになったに違いない。

 私見ではショスタコーヴィチの最高傑作は何といっても「交響曲第8番」である、それもムラヴィンスキーの指揮が飛びぬけている。('82年のライブでも、'61年のライブでも。)第3楽章から第4楽章にかけての血も凍るような響きは、かつて聴いた音楽の中で最も怖ろしいものだった。