Est-ce ainsi que les homme vivent

「花鳥風月の詩」などのブログを運営している「豊さん」とは、ともに詩を書いてきた古い友人ですが、1998年にその豊さんたちと作った同人詩誌「誰」18号に私の書いたコラムのタイトル「男の生き方」は、フランス屈指のシャンソン歌手Léo Ferré(レオ・フェレ)ー彼とジャック・ブレルとジョルジュ・ブラッサンスとで三大シャンソン歌手と称されたこともありました。ーが作曲し創唱した傑作「Est-ce ainsi que les homme vivent」のことで、私がレオ・フェレの歌ったこの曲に初めて接した若き日の思い出が書いてあります。

 詩を書いたのは、フランスの詩人Louis Aragon(ルイ・アラゴン)ですが、彼のことは前回の「エルザの瞳」のところで触れました。彼は、ダダイズム運動、シュールレアリズム運動と移り渡り、その後フランス共産党に入党し、同党の代表的文化人として活動を続けた詩人・作家です。この詩は、詩集「Le Roman inachevé (未完のロマン)」から選ばれたものですが、実際の詩よりはかなり短くなっているようです。

 私がまだ23〜4歳で、某銀行に勤務し千葉県某市の独身寮で暮らしていたころ、勤務は毎日残業続きで帰宅はいつも夜遅く、日曜日には疲れて寮で無聊に苦しんでいたある夜、深夜放送で「銀巴里」の提供する音楽番組をふと耳にし、大いに慰められたことがありました。それからは、折に触れ銀座八丁目にある「銀巴里」へ通うようになりました。

「銀巴里」では時々リクエストを依頼して楽しんでいましたが、あるとき、いつもフランス語で歌うTさんという歌手に偶然「男の生き方」をリクエストしたのです。それがきっかけで、Tさんから、この「男の生き方」を含む1961年11月の「アルアンブラ座」でのレオ・フェレのライブの一部が入った録音テープをいただくことになりました。これが、レオ・フェレとの本当の出会いの始まりでした。一聴、言葉にならない深い感動に襲われ、以後レオ・フェレにのめりこんでいくことになります。

 当時、シャンソン・リテレール(文学的シャンソンとでも言うのでしょうか)を集めた「パリの詩人たち(Chansons D'auteurs)」というレコードを愛聴しており、その中に、Catherine Sauvage(カトリーヌ・ソヴァージュ)が歌った「男の生き方」があって、何となく気になっていて、ついリクエストしてみたのです。当時はまだ、レオ・フェレが何者かということはよく分かっていませんでしたが。詳しい経緯は詩誌「誰」18号に書きましたので、ここでは割愛します。
 それからは、手に入る限りのフェレのレコードを集め始めました。銀座の十字屋でBarclayの全集を発見した時は、まさしく狂喜しました。それが下記リストの(1)(2)です。

 このアルアンブラ座でのライブはレオ・フェレの多くの歌唱の中のまさに白眉で、私の持っているBarclayの全集(下記(1))の中に「THANK YOU SATN Léo Ferré chante en public au Théâtre de L'Alhambra(Novembre1961)」という一枚があり、この中に標題の曲が含まれています。このライブ演奏は、音源としては日本では発売されませんでした。今、手に入れるのは難しいかも知れません。しかし、フランス本国でCD化されている可能性もあると思いますが、その辺は特に調べていないので分かりません。
 以下に私が手に入る限り集めたレオ・フェレのレコード(文字通りレコードで、CDなどはありません)のリストを掲げておきます。枚数にして25枚あります。

(1)Leo Ferre1960.1967 Volume1〜8 (Barclay)
(2)Leo Ferre1968.1974 Volume1〜7 (Barclay)
(3)LE DISQUE D'OR (Barclay)
(4)L'été68(1969) (Barclay)
(5)LÉO FERRÉ(1979) (Barclay)
(6)l'album d'or (CBS)
(7)ミラボー橋ーレオ・フェレ(Odeon)
(8)LES FLEURS du MAL(悪の華)(EPIC)
(9)ベスト・オブ・レオ・フェレ アベック ル・タン(Barclay)
(10)秋の歌 ヴェルレーヌランボー(Barclay)
(11)アムール・アナルシー  (Barclay)
(12)アムール・アナルシー2 (Barclay)

 (3)以下のレコードに入っている曲は多くが(1)(2)の全集に含まれています。
 このうち、(1)(3)(9)に「男の生き方」が含まれていますが、(3)(9)は同じバージョンで、スタジオ録音です。(1)に前述のアルアンブラ座のライブが入っています。レオ・フェレを聞くために、今でも二十数年前のパイオニアの古いレコード・プレーヤーを大切にとってあります。

 (1)での歌唱は、スタジオ・バージョンとは異なり、音楽の神か悪魔が乗り移ったかのような恐るべきオーラを発しており、聞いていて鳥肌立つとはまさしくこういうことかと思いました。残念ながらこの映像は残っていません。アルアンブラ座のライブでは、「THANK YOU SATAN」が静止映像ですが残っています。 

 動画共有サイトには、フェレ自身の歌ったスタジオ録音をもとにした映像がありますが、他の歌手がこの曲を歌ったものでは、Marc Ogeret(マルク・オジュレ)やカトリーヌ・ソヴァージュが素晴らしいと思います。後者は、もともとレオ・フェレの「パリ・カナイユ」を創唱してデビューしており、レオ・フェレの曲の歌い手として知られています。(残念ながら、マルク・オジュレのものは削除されました。)

(8)はもちろん、ボードレールの詩にフェレ自身が作曲し、歌っているアルバムですが、独特の鼻にかかった歌い方で(フランス語はみな鼻にかかるのでしょうが)、語尾を微妙に震わせて、まるでルシファーが天使ラファエルになりすまし歌っているかのような不思議な感覚を覚える一枚です。

 では、御大のレオ・フェレの歌う「男の生き方」を聴きます。(歴史的なアルアンブラ座でのライブからです。)

 次いで、カトリーヌ・ソヴァージュの歌ったものですが、私はレコードでレオ・フェレよりも先に彼女の歌唱を聴き、この曲に心底ほれ込んだものでした。彼女の知的な雰囲気は、御大フェレのワイルドさとは対象的です。

   
 23〜4の若い頃は、仕事をやればやるほど「何か違う!」という思いが強くなり、身体の中にぽっかりと穴があいたような空虚感に苛まれ、それを埋めるために「銀巴里」へ通ったり、当時数多くあったジャズ喫茶で夜明かししたりして自分が本当に求めているものに触れようと懸命でした。しかし、それも束の間の現実逃避であったと思います。その後新潟へ転勤となり、やがて当時の状況下での最終的な現実逃避、つまり職場からの逃避である退職に至ったのです。この時28歳でした。
 しかし、その当時巡り合ったレオ・フェレは、私の心の琴線にまともに触れ、ついには生涯の伴侶になったのです。
 では今はどうかと言えば、空虚感という個人的感懐よりも、ざっくりと言えば、人間中心の文明史観ははたして間違いないのか、こんなものはキリスト紀元に特有の大イリュ−ジョンではないのか、重力の法則から逃れられないのは他の生き物と同じなのに人間だけが特別に偉いのかなどと、時々らちもないことを考えています。