2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

チェコ・フィルの思い出など

たまたま立ち寄ったレコード・CD店で、ラファエル・クーベリックとチェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏による、ドヴォルザークの「交響曲第9番(新世界より)」と、ニキタ・マガロフ(P)のショパン「24の前奏曲」と「ピアノ・ソナタ第3番」の入ったCDを買…

映画とクラシック音楽

以下は、2008年に私の勤務先の機関誌に書いたものですが、配布先が限られていたので、あらためて公開します。なにとぞご寛恕を。 ───────────────────────────────────── 連続幼女誘拐事件の宮崎勤死刑囚に6月17日死刑が執行されたと聞き、すぐに頭に浮かん…

新宿風月堂はブルックナー第9番とグレゴリオ聖歌

大学生の頃、上京する度に立ち寄ったのが新宿風月堂でした。その後就職して東京にいた1964年4月から1967年9月まで、折に触れ足を向けた記憶があります。大学時代、音楽を通じて仲の良かったA.E君とは、共に東京で就職したこともあって、会うときはいつも風月…

コルトレーンが死んだ日

ジャズを聴き始めたのは1961〜2年頃からです。最初に買ったレコードは、CBSの「ベスト・オブ・チャーリー・ミンガス」というアルバムで、どちらも1959年録音の「MINGUS AH UM」と「MINGUS DYNASTY」から選曲したオムニバスでした。それ以来、今に至るまでミ…

今年もマタイ受難曲を聞きに行きます

昨年は、マタイ受難曲の演奏を二度も聞くことができた画期的な年でした。一つは、バッハ・コレギウム・ジャパンの、そしてもう一つはミシェル・コルボの演奏でしたが、前者は私がこの年(?)に至って初めて接した生演奏です。いわゆる、メンデルスゾーン上…

高貴なる魂の声 Kathleen Ferrier

マタイ受難曲は、私のような弱い心を持ったインモラルな人間にとって、最後の心の砦といっていい大切な曲です。神を信じない私ごときが、バッハの中に時として神を見る、など言うのはおこがましい限りですが、ひそかにそう叫びたくなることがあるのです。 つ…

Est-ce ainsi que les homme vivent

「花鳥風月の詩」などのブログを運営している「豊さん」とは、ともに詩を書いてきた古い友人ですが、1998年にその豊さんたちと作った同人詩誌「誰」18号に私の書いたコラムのタイトル「男の生き方」は、フランス屈指のシャンソン歌手Léo Ferré(レオ・フェレ…

シャンソン&カンツォーネ

(シャンソン) カンツォーネ(ナポレターナなど)は、日本ではよくシャンソンと並べて論じられます。同じラテン系というカテゴリーに入るからでしょうか。しかし、かつて私たちを楽しませてくれた多くのシャンソンも、曲想がもはや現代の音楽シーンから遠い…

멍에

思えば、セルジオ・ブルーネから受けたカルチャー・ショックに比べれば、はるか昔ソウルで김수희(キム・スヒ)の멍에(モンエ)を初めて耳にした時のそれはさらに鮮烈なものでした。 モンエを初めて聞いたときのことは今でも忘れません。一瞬全身の血の流れ…

Core'ngrato

標題の曲(日本語では「つれない心」あるいは「カタリ・カタリ」)は代表的なナポレターナです。私がこよなく愛する曲のひとつですが、イタリアの民謡歌手のみならず、著名なオペラ歌手を始めとする多くの歌手たちが、コンサートなどで好んでこの曲を取り上…

Je crois entendre encore(今でもまだ聞こえるような気がする)

Je crois entendre encore(訳すと「今でもまだ聞こえるような気がする」)は、Bizet(ビゼー)のオペラ「Les pêcheurs de perles(真珠採り)」の有名なテノールのアリアのタイトルです。普通は「耳に残るは君の歌声」と訳されることが多いのですが、同名の…

前口上

人の言説にはすべからくバイアスがかかっている、というのが私の持論ですが、最近は、言説のみならず人間の本性、ひいては人間集団社会の特質に修復不能のcrack(ひび割れ)あるいはgap(ずれ)があり、そのcrack(またはgap)を埋めているのが嫉妬(envy)…