今年もマタイ受難曲を聞きに行きます

 昨年は、マタイ受難曲の演奏を二度も聞くことができた画期的な年でした。一つは、バッハ・コレギウム・ジャパンの、そしてもう一つはミシェル・コルボの演奏でしたが、前者は私がこの年(?)に至って初めて接した生演奏です。いわゆる、メンデルスゾーン上演稿による復活上演の再演というもので、三分の一ほどが省略されてます。会場の東京オペラシティコンサートホールも初めてでしたが、マタイの上演に相応しい品格のあるホールで、すっかり堪能しました。メンデルスゾーン上演稿については、指揮者の鈴木雅明さんによる公演プログラムの巻頭言に詳しい説明があります。

巻頭言
 もう一つは、東京国際フォーラムで催された「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン熱狂の日」の公演で、5月4日の「ロ単調ミサ曲」に続いて5日に「マタイ受難曲」を聞きました。ミシェル・コルボが手兵のローザンヌ声楽・器楽アンサンブルを率いての円熟の演奏でした。コルボの1982年録音のCDでは、エヴァンゲリストは第一人者のクルト・エクウィルツですが、今回の公演はダニエル・ヨハンセンというテノールでした。初めて聞く名前でしたが、立派なエヴァンゲリストだったと思います。コルボも75歳の年齢を少しも感じさせない、溌剌とした、しかも円熟した完璧な演奏でした。ロ単調もそうでしたがチケット代4,000円というのは驚くべき安さで、これには一番感激しました。
 今年も、4月2日にバッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」を聞きに行きます。会場も同じ東京オペラシティコンサートホールです。

 最初にマタイ受難曲を聞いたのは、新潟の学生時代に、NHKのラジオで、カラヤンの演奏によるものでした。知人から録音機を借りて録音した記憶があります。出演者は忘れましたが、当時を1960年前後と考えれば、日本ではウィーン交響楽団のライブ演奏しか音源としては考えられません。とすれば、オットー・エーデルマンやイルムガルト・ゼーフリートとともに、カスリーン・フェリアーが出演しているもので、エヴァンゲリストは、ワルター・ルードウィッヒとなります。(あくまで推測ですが。)ベルリンフィル=シュライヤー盤は1972年頃ですから、それはあり得ません。
 最初にレコードを買ったのは、クレンペラーかリヒターかどちらかです。あとは、手当たり次第買い求め、メンゲルベルクヨッフムフルトヴェングラー、リリンク、カラヤンなど。但し、真剣に聞いたのは、最初の二人だけです。今、当時のレコードで手元にあるのはクレンペラーだけです。ソリストも、エヴァンゲリストのピーター・ピアーズを始め、フィッシャー=ディースカウシュワルツコップ、そしてクリスタ・ルードウィッヒ、ニコライ・ゲッダ、ワルター・ベリーなど当時考えられる限りの豪華メンバーを揃えていますが、何と言ってもクレンペラーの指揮が凄いのです。遅く重いテンポは重厚そのもので、彼の巨大な人間性立ち上がってくるような、心にずっしりと響く演奏です。しかも全体を俯瞰する眼力も備えています。それに彼のポリフォニックな音感は天才的です(そのことは、「ロ単調ミサ曲」の冒頭、Kyrieを聞けば瞭然です。)。現在私がもっぱら聞いているグスタフ・レオンハルトを始めとする古楽器の演奏スタイルとは全く別次元の演奏です。幾多の政治的・肉体的危機を乗り越えてきた凄みと貫録があります。彼の宗教曲は、ロ単調ミサ曲も、ミサ・ソレムニスもみな素晴らしいと思います。今でもこれらのレコードを大切に聞いています。
 私は、自分の不徳と致すところで、転変とした人生を送ってきましたが、心がもう持たないというぎりぎりの状況で必ず聞くのは「マタイ受難曲」でした。それも、必ずクレンペラーかリヒターでなくてはいけないのです。
 最近主にに聞いているのは、前述のように、グスタフ・レオンハルトの指揮で、エヴァンゲリストがブルガルディエンのものです。昨年偶然、レオンハルトチェンバロ演奏と、ブルガルディエンの「冬の旅」を聞く機会がありました。レオンハルトの実に典雅な演奏も、ブルガルディエンの心の入ったシューベルトのリートも、世界の一流のプロフェッショナルとはこういうものかと、全く瑕瑾のない人間技とも思えない演奏に心から感銘しました。ブルガルディエンは現役のエヴァンゲリストではナンバーワンだと思います。
 クレンペラー盤はここぞという時のために普段はなるべく聞きません。どうせ又いつか、クレンペラーの「マタイ受難曲」を必要とする時が必ず訪れると思うからです。
 「マタイ受難曲」では、もちろんErbarme Dich,mein Gott もいいのですが、私は最終合唱、Wir setzten uns mit Tränen niederが一番好きです。長いドラマの終わりに大いなるカタルシスが訪れる、心が洗われる終曲です。下記は、横浜マタイ研究会合唱団の演奏による最終合唱です。