この名曲にこの名演あり(4)オットー・クレンペラーのバッハ<ロ短調ミサ曲> 

 クレンペラーは殆ど忘れられた部類の指揮者に入ると思われます。私の世代でさえフルトヴェングラーワルタートスカニーニ、あるいはカラヤンムラヴィンスキーバーンスタインなどが最前線の指揮者で、クレンペラーはずっと地味で陰に隠れた名指揮者といった存在でした。
 しかし今でも、宗教曲においてクレンペラーが到達した演奏の芸術的高みは他に抜きんでています。それは、ベートーヴェンの<荘厳ミサ曲>であり、バッハ<マタイ受難曲>であり、なかでもバッハ<ロ短調ミサ曲>こそは(私見ですが)未だにこれを超える演奏のない屈指の名演です。
 例えば<キリエ>の悠揚迫らぬポリフォニックな曲の構成感と威厳に満ちた音の流れは、他のどの指揮者の追随も許しません。またBBC合唱団のひたむきで圧倒的な合唱力の素晴らしさも筆舌に尽くし難く、あたかも初めて原罪を知った人間の魂の叫びのような悲劇的色合いさえ帯びています。
 ブレスラウ生まれのユダヤ系ドイツ人指揮者であるクレンペラーは、幾多の病気や事故、あるいは政治的な苦難から不死鳥のごとく幾度となく甦った不屈の男で、70歳頃(1956年)になってようやくロンドンのフィルハーモニア管弦楽団(1964年以降はニュー・フィルハーモニア管弦楽団)という理想的なオーケストラを掌中にし、長年の苦闘の人生と音楽的研鑽が実を結ぶお膳立てが整ったのです。
 このロ短調ミ曲サあるいは荘厳ミサ曲、マタイ受難曲といった畢生の名演の録音は殆どがこの時期に集中しています。
 ロ短調ミサは1967年の録音ですから何とクレンペラー82歳での神韻縹渺たる歴史的名演です。独唱陣も、アグネス・ギーベルやジャネット・ベーカー、ニコライ・ゲッダやヘルマン・プライといった錚々たる当時のトップ・プレーヤーを集めた万全の布陣となっています。
 また、コンティヌオ(通奏低音)の鍵盤楽器として、イギリスのノエル・マンダー社のポジティフ・オルガンが使われており、曲全体に重厚で敬虔な味わいを濃く漂わせています。
 この曲ではほかに、グスタフ・レオンハルト=ラ・プティットバンドの演奏が、バッハの普遍性をとことん極めた名演であると思います。自然で澄明、古楽器の可能性を目一杯引き出した現代のスタンダードと言っても過言ではありません。
 それにしても、来日が中止になったヘルヴェッヘのロ短調ミサが聴きたかったと、今更ながら福島原発の事故を深く恨みます。
 左下がクレンペラー、右下がレオンハルトのCDです。
  
 クレンペラーの宗教曲はロ短調ミサ曲を含め、you tubeにはありませんので、代わりに、指揮をしているクレンペラーを観ることのできる、ベートーヴェン交響曲第>の第4楽章(左下)と、クレンペラーの代表的名演でもあるマーラーの<大地の歌>の最終部分(クリスタ・ルードウィッヒの渾身の歌唱が心を打ちます。右下)を聴いてみます。