独断と偏見で選ぶこの世で最も心に響く名曲10選(その4)<オーストリア=ハンガリー帝国1905年、メリー・ウィドウよりヴィリヤの歌>

 オーストリア=ハンガリー帝国とは、まことに奇妙な帝国国家でした。この当時、帝国と言えば殆どが軍事的覇権国家を意味し、周囲にはプロイセンを盟主とするドイツ帝国ロシア帝国オスマン帝国などの軍事的脅威が存在していましたが、少なくとも成立においては必ずしも軍事的な要因からではなく、オーストリアを始めとする中東欧の多民族の生存を賭けたそれぞれの都合により、合従連衡によって1867年に成立したのが、いわゆるオーストリア=ハンガリー帝国です。
 それ以前のオ−ストリア帝国が衰退し、その君主であったハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ一世が統治した、いわゆる二重帝国(クロアチアを含めて三重帝国とする見解もある)でした。主としてオーストリア内のドイツ人とハンガリー内のマジャル人との妥協により成立した連合国家と見られています。
 この帝国末期には、文化的、特に美術・音楽ではヨーロッパの中心的な存在で、多数の芸術家や学者を輩出しています。
 画家では、クリムト、ココシュカ、エゴン・シーレ。音楽ではマーラーシェーンベルクアルバン・ベルク。作家では、シュニッツラー、ホフマンスタールムージルツヴァイク。他にはフロイトヴィトゲンシュタインなどなど。またウィーンは、テオドール・ヘルツェルによる「シオニズム運動」の拠点の地でもありました。
 当時のウィーンはまさしく十九世紀末から二十世紀初頭にかけての<der Geist der Zeit(時代精神)>を代表する世界都市でした。
 1873年の「ウィーン万国博」を絶頂期とした帝国も、1908年にボスニア・ヘルツェゴビナ両州を強引に併合した結果、1914年に発生した「サラエヴォ事件」をきっかけに崩壊へと向かいます。
 さて、サラエヴォ事件を9年さかのぼった1905年という年を例にとって、世界史的にピンポイントで見てみますと、サンクトペテルブルグでいわゆる「血の日曜日事件」が起き、この後の「二月革命」「十月革命」へとつながっていきます。「戦艦ポチョムキン事件」の発生もこの年です。
 日本に目を転じれば、この年に日露戦争の主要な戦いや事件がすべて起きています。旅順開城―黒溝台会戦奉天会戦日本海海戦ポーツマス条約締結。
 マックス・ウエーバーの「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」がこの年に、最初に発表されています。
 そうした時代背景をよそに、二十世紀初頭は、ウィンナ・オペレッタの第二期黄金時代にあたり、1905年にはオペレッタ史上最大の成功作である、フランツ・レハールの「Die Lustige Witwe」いわゆる「メリー・ウィドウ」が初演されています。(ちなみに、ヤナーチエックの傑作オペラ「イェヌーファ」は1904年に初演されています。内容の落差は大きいのですが、ヤナーチェックについては、同じチェコの作家ミラン・クンデラとの関わりで、稿を改めて述べるつもりです。)
 レハールは、ユダヤ人でありながらナチスの庇護を受けたという引き裂かれた存在でした。ヒトラーがこの曲を好んだということと、レハールに入る膨大な印税から得られる税金を狙ったためとも言われています。
 しかし、そんな様々な事情を抜きにすればレハールの作曲した甘く心を溶かすようメロディーは極めて魅力的で、未だに世界中で愛されています。
 第三幕の二重唱<Lippen schweigen・・唇は黙し・・>、いわゆるメリーウィドウ・ワルツは以前のブログの、映画「疑惑の影」と「ベニスに死す」の個所で、ドミンゴネトレプコの歌を紹介しましたので、ここでは第二幕で富豪の未亡人ハンナによって歌われる<ヴィリヤの歌>を聴いてみたいと思います。途中からですが、シュワルツコップの何という魅力的な歌いっぷりでしょう。惚れ惚れとただ見蕩れ、聴き惚れるだけです。


 念のためもう一つ、わが愛するルチア・ポップの歌声を聴いてみたいと思います。23歳のポップのモーツアルト魔笛」の夜の女王の舞台を見たシュワルツコップが、”Sie sind Wundertier!”と驚きを込めて叫んだそうです。英語で言うと”What a weird and wonderful creature you are!”となります。
(以上は、ORFEOの<Lucia Popp>Live/Bayerische Staat-operのKurt Malischのライナー・ノーツによります。)

 彼女は、スロヴァキアの出身で、夜の女王役でデビューし、主にウィーン国立歌劇場を舞台に活躍しました。クレンペラー指揮の「魔笛」で、夜の女王役として、グンドラ・ヤノヴィッツやニコライ・ゲッダと共演したCDが残されています。極めて艶やかで(特に高音部)、それでいて気品あふれる、音楽性の高い表現にはいつも心を打たれます。しかし、惜しくも1993年に54歳の若さで癌のため亡くなりました。

 23年4月13日追記
 残念ながら、ルチア・ポップの<ヴィリアの歌>は削除となりました。そこで、ポップの歌う姿と表情のよく分かる「魔笛」の舞台から、第二幕のパミーナのアリア<Ach,ich fühl's,>を聴きます。また、<ヴィリアの歌>はフィンランドが生んだ名ソプラノ歌手カリタ・マッティラの歌唱で聴いてみたいと思います。
 23年11月23日追記
 再び、ルチア・ポップの<ヴィリアの歌>が静止画面で復活しました。同時に、カリタ・マッティラの映像が削除されましたので、この二つを交換します。
  

 「メリー・ウィドウ」では、ヘルムート・ローナーの演出でフランツ・ウェルザー=メストが指揮したチューリッヒ歌劇場のDVDが面白いと思います。ハンナ役のダグマル・シェレンベルガーに若干の物足りなさは感じますが、巧みな演出で映像としては面白く出来ています。第3幕のシャンソンの場面は一昔前の日劇ミュージックホールのようで、6人のキャバレーの踊り子たちがスカートをたくし上げて踊るシーンがあり、これには当時の観客はさぞかし驚いたことでしょう。