独断と偏見で選ぶこの世で最も心に響く名曲10選(その3)<カティンの森事件と、ミサソレムニスよりアニュス・デイ>

 2010年4月10日、ポーランドレフ・カチンスキ大統領の乗った政府専用機ツポレフが、スモレンスクの空港付近の森林地帯に墜落し、大統領夫妻と同乗していた多数の政府高官など(陸軍参謀長、外務次官、ポーランド中央銀行総裁、国会議員ら)搭乗者96人全員が死亡するという大惨事が起きました。
 大統領一行は、第二次大戦中にポーランド将校ら1万5千人が、旧ソ連に銃殺され埋められた「カティンの森」事件の70周年追悼式に出席するため、現地に近いスモレンスク郊外の空港に向け着陸準備に入ったところ、機体が木の頂上部に接触して墜落し、機体はバラバラになったということです。何という事でしょう。カティンの森事件を巡るこの二重の悲劇には言葉を失います。
 70年を経た今に至るも、ポーランドの人々にとっては、この事件は未だに終わっていないのです。どうか犠牲者の方々の魂の安らかならんことを!
 現在もポーランドは、東欧でのMD(ミサイル防衛)施設配備をめぐり、米露のはざまで翻弄され続けています。ポーランドという国は、ロシアとドイツと隣接するという地政学的な条件からも、常に困難な運命を負わされた国なのかも知れません。
 カティンの森事件は、極悪無慈悲なスターリンの命令で、スターリン以上に酷薄非道の犯罪者であるNKVD(ソ連内務人民委員部、後のKGBの前身)長官のベリヤが部下のメルクーロフなどに命じて行わせた人倫から遠く外れた赦されざる戦争犯罪です。スターリンは権力を掌握してからというもの、狂気に駆られたかのように多くの自国民を大粛清の嵐に巻き込み、一説では700万人以上を殺害したといわれている20世紀最大の悪霊であり、ヒトラーと並んで他に比類のない人非人です。

 この件では、ベリヤについては、単にスターリンの命令ということではなく、もっと積極的なコミットがあったと思われます。シベリヤの強制収容所での服役経験のあるポーランド系の歴史家、タデシュ・ウィトリンの「ベリヤ」(大沢正訳:早川書房、昭和53年)の中にこのような記述があります。
ポーランド将兵の輸送には数週間かかった。正規軍兵士と予備役将校をひっくるめて約1万5000人が移送された。これら将兵は、弾圧者にとってはもっとも好ましくない、ポーランド最高のインテリであり、愛国分子を代表する人びとであった。ベリヤは、こいつらには思い切り猛烈な目に会わしてやらなくてはならん、と決意した。」
 彼らが収容されていた中央ロシアの収容所<コジェルスク><オスタシュクフ><スタロビェルスク>はNKVDつまりベリヤの直轄の三大軍事捕虜収容所でした。
 また今年4月28日にロシア連邦公文書局が、メドベージェフ大統領の指示で、ソ連共産党中央委員会政治局の秘密資料の実物を専用サイトで初めて公開しましたが、新聞記事などによれば、1940年3月に、ベリヤが(捕虜となったポーランド将兵の)銃殺を提案する文書があり、スターリン以下の政治局員の署名が記されているそうです。いずれ、これらは翻訳公開されることになると思いますので、その時はさらに詳しい経緯が明らかになることでしょう。
 第二次大戦後、そのスターリンのために、厚労省の推定で、総数約56万人の日本人将兵満蒙開拓移民団などの民間人が捕虜としてシベリヤに抑留され、苛酷な労働を強いられるなど非人間的な扱いを受け、死亡者約5万3千人を出しています。なお、ロシア国立軍事公文書館に保管されているシベリア抑留者の個人情報が記載された約70万枚の登録カードのうち約34万枚分の情報が今年2月までに日本側に引き渡され、新たに119人の死亡者が特定されたと厚労省が発表しています。残りの分も5月までに引き渡される見込みです。(以上、日本経済新聞、3月6日付記事による)厚労省はシベリア抑留者についての最後の救済措置のため基本方針を取りまとめており、今国会への法案提出を目指していると伝えられています。このように、日本でも未だにシベリア抑留問題は終わっていないのです。
 満州以外でも、サハリンや千列島などでも大量の日本人が抑留され、多くの死者が出たとも言われていますが、未だに実態が十分には解明出来ていないのです。。
 スターリン以降も、スケールは小さいものの、小スターリンのような政治家はバルカン半島、アフリカ、東南アジア、東アジアなどで絶えることなく生まれてきています。また、ルワンダでは目を覆いたくなるような残虐な大量殺戮も起きました。人間とは、かくも救い難い生き物なのでしょうか。

 2007年、自身の父もソ連の秘密警察に連行され処刑されたという体験を持つポーランドの著名な映画監督のアンジェイ・ワイダが、構想から17年の歳月をかけて<カティンの森>という映画を発表しました。この悲劇的なドラマは、ポーランドの人々の被った数々の苦難を、歴史の欺瞞や真実から眼をそむけなかった人々に訪れる残酷な死を、神なき世界の人の心を、激情に走ることなく、トーンを抑えて淡々と描き出しています。しかし最後の銃殺の場面に至ると、ワイダ監督の80余年の全人生を賭けた、最高の訴求力を持った驚愕のリアリティが観る者を圧倒する映像が出現します。この慄然とする事実を前にする時、私たちには言葉もありません。この時ワイダ監督の心の中にあったのは一体何だったのでしょうか。誰にも忘れることを許さないという強い意志と、そのような歴史の証しを残そうとする強い使命感と覚悟がこの場面を作り上げたのではないでしょうか。映像が終り黒い画面に切り替わってから流れるペンデレツキのポーランド・レクイエムはまさにエンディングに相応しく、非業の死を遂げた死者たちへの弔辞と言えます。
 You Tubeにあるワイダ監督のインタビューの中の次の言葉が胸に突き刺さります。
カティンの森事件のような残虐性は、私たち自身の中にあるものなのです」
 事故直後の4月13日、You Tubeベートーヴェンの「ミサソレムニス」の<アニュス・デイ>が次のようなコメントを付して、多分ポーランド人と思われる方から投稿がありました。飛行機事故の犠牲になった人々への鎮魂の曲と言葉です。
(RIPは、rest in peace のことです。)
 RIP to all who died in the plane flying to Katyn on 10th April 2010.
 アップロードされたのはゲオルグショルティ指揮のシカゴ交響楽団による演奏です。(今回は、CD聴き比べのような不謹慎なことはしません。なぜなら、これは数多あるこの曲の演奏のなかでも、深い祈りと霊感に満ちた指折りの優れた演奏であり、投稿者の方が心から追悼の気持ちを込めて捧げたものだからです。) 

 独唱者では、ソプラノのルチア・ポップとアルトのイヴォンヌ・ミントンが素晴らしく、心を打つ歌唱を聴かせてくれます。ロ短調の重く沈鬱な序奏から始まり、独唱と合唱で歌われる<ミゼレーレ(憐れみたまえ)>という典礼文が繰り返し波のように寄せてきて、平穏な日常に馴れきって腑抜けのようになっている私自身の魂を揺さぶってやみません。
 Agnus Dei                    アニュス・デイ 
Agnus Dei qui tollis peccata mundi:世の罪を除きたもう神の子羊
miserere nobis.                 われらを憐れみたまえ

Agnus Dei qui tollis peccata mundi:世の罪を除きたもう神の子羊
miserere nobis.                 われらを憐れみたまえ

Agnus Dei qui tollis peccata mundi:世の罪を除きたもう神の子羊
Dona nobis pacem              われらに平安を与えたまえ 
 
 今年は、ポーランドの生んだ大作曲家のショパンの生誕200年にあたる年で、世界各地で200年祭の行事が行われます。
 昨年、所沢ミューズでベートーヴェンシマノフスキーの演奏を行ったポーランド出身のクリスティアン・ツィメルマンが6月12日に同じホールで、ショパンのピアノ・ソナタ第2番と第3番を演奏します。1975年に18歳の最年少でショパン国際ピアノ・コンクールで優勝し、完璧なテクニックと繊細な歌心を持った現代のピアノの巨匠と呼ぶにふさわしい、私の最も敬愛するピアニストの演奏を今から心待ちにしています。
 以下は、ツィメルマンの演奏するショパンの<バラード第1番>ですが、独特の背筋を真っすぐ伸ばした姿勢で、心を揺さぶられる見事な演奏を披露しています。