独断と偏見で選ぶこの世で最も心に響く名曲10選(その5)<サンソン・フランソワの弾くショパン、ピアノ協奏曲第2番第2楽章>

 確かに、ショパンは、コルトーが言うように、
「単にピアニストの中で最大の音楽家であったばかりではなく、また同様に―少なくとも私の意見では、また作品がその証拠を示す例だけに限るとしても―彼は音楽家中で最も奇跡的なピアニスト」でした。
 しかし実生活においては、「肺病特有の憂鬱症状」や長年の流謫生活から来る孤独感、そして極度に繊細で引き裂かれた精神が呼び起こす絶望感に苛まれ続けてきましたが、
「だから、伝説は大切にすべきものなのだ。結局伝説は事実の丹念な調査よりも一層炯眼であり、かつ根本的真実の核心へより深く透徹し、日常的表象の瑣末な側面は措いて、未来のために、われわれの敬愛の情の一切の期待に答えるショパンの影像を保持する術を知っていたのだ」
(「」は<ショパン>アルフレッド・コルトオ 河上徹太郎訳 新潮文庫より引用)
 コルトーの指摘どおり栄光に満ちた数々の伝説が織りなされ、私たちの心の置き方次第で様々な容貌を見せてくれる天才的な音楽家が生み出す作品に魅力がない筈はありません。今年はショパン生誕200年の記念すべき年に当たり、いやが上にもショパンの人間像や作品に光が当てられることになっているようです。(もっとも、ショパンの生年は1810年ではなく1809年という説もあり、必ずしもはっきりしていないようです。)
 ところで、ショパンの作品を聴くと、遥か昔の、私に青春時代というものがあったとすればその頃の、悔恨をともなう幻影が呼び起こされ、胸が苦しくなることはありますが、しかし、かつてショパンの音楽に全身全霊で耽溺したという経験はありません。これは不思議です。
 ここで、青春のほろ苦さと胸苦しさと悔恨が甦るショパンのピアノ・ソナタ第3番第3楽章を聴いてみたいと思います。現在では絶対に聴くことのできない、実に典雅でロマンティシズムあふれるディヌ・リパッティの演奏によるものです。

 ベートーヴェンにしても、ブルックナーマーラーにしても、またキム・スヒや中島みゆきでさえ、惚れ込んだ時には、来る日も来る日も、朝から晩まで繰り返し我を忘れて聴き続けたものです。しかし、私にとってショパンは、花咲き誇る美しい庭園のそばを心地よくただ通り過ぎるだけのことになっています。
 それでも私の手元には、発売されたときすぐに買い求めた、「マルタ・アルゲリッヒ・ショパン・リサイタル」(1967年)や「ポリーニショパン練習曲集」(1972年)のLPがあります。どれも二人のデビュー当時のものですから、ショパンに全く関心がなかったという訳でもないようです。(デビュー当時、アルゲリッチは、アルゲリッヒと呼ばれており、私と同じ年の生まれです。ポリーニも私と一つ違いのほぼ同年といっていいピアニストですから、この二人に対しては特別のシンパシーを持っています。)
 ベートーヴェンは別格なので措くとして、ブルックナー以下は、私にとって音楽脳の中枢を痺れさせるような麻薬的な要素を持った作曲家たちです。マーラーと同じく分裂症傾向のあったショパンですが、私にとってはなぜか、忘我夢中になるような麻薬的な音楽家ではないのです。重厚長大を好む私自身の体質のせいかも知れません。
 しかし、それでも繰り返し聴き続けているショパンの作品がたったひとつあります。サンソン・フランソワ独奏のピアノ協奏曲第2番第2楽章です。これは、サンソン・フランソワが演奏するというのが絶対条件です。他のピアニストの演奏では、フランソワのようなイマジネーションあふれる独創的な演奏が与えてくれる霊感の泉に浸ることができません。天衣無縫ともいえる自在なタッチから生まれるポエジーと甘美さは筆舌に尽くせません。
 また、コルトーの「ショパンの手」についての卓抜な表現を借りるとすれば、フランソワの「あの夢見るような、或いはまた悸(ふる)へるような旋律や、ある時は英雄的であり、またある時は気まぐれに戯れるようなリズム、またあの未知の和声を生んだ」のは「・・一感受性の最も深奥な所で神秘的なさざめきをしている声を持つ、精神的な深慮が、多くの中から選んだ」ものかも知れません。(前掲書)
 フランソワには2種類の演奏が残されています。一つはパウル・クレツキ指揮のフランス国立放送局管弦楽団とのもので(1958年)、二つ目はルイ・フレモー指揮のモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団とのもの(1965年)ですが、どちらも甲乙つけがたい名演です。
 you tubeに残されていたフランソワの貴重な映像が、残念ながら削除されましたので、キーシンの演奏によるこの曲のライブを見てみます。なお、フランソワでは”エチュード作品10”の12曲という眼を瞠るような映像がありましたので、これもじっくり鑑賞してみたいと思います。