インテルメッツオ(ちょっとひとやすみ)(2)「ジャズは死んだか」

―「ジャズは死んだか」
―「クラシック音楽は滅びかかっているか」
 このテーマについて、言及しておきたいと思います。前者は、相倉久人氏の、後者は鈴木淳史の表現を借りました。

―まず「ジャズは死んだか」について。
 すでに、1977年に相倉久人氏は『相倉久人の“ジャズは死んだか”』という一書の中で、“コルトレーンが死んだときに、ぼくは「ジャズは死んだ」といった。”と述べています。
 ハード・バップを中心としたジャズのメインストリームは1950年代から花火のように盛大に打ち上がって、1970年代の初めである意味滅んでしまったと私は思っています。
 コルトレーン死後の、ジャズが滅びに瀕した混迷の中では、“キース・ジャレット”が過大とも言える持ち上げ方をされたこと、エレキ・サウンド路線の“ウェザー・リポート”が一世を風靡したことが印象的でした。(あだ花とは言いませんが・・・)  
 私の中でも、実際は1967年7月の巨星コルトレーンの死をもってジャズは終わってしまっていましたが・・。(3月21日のブログ<コルトレーンが死んだ日>を参照してください。)
 まさしくコルトレーンこそ、ジャズの歴史の様々な潮流が流れ込んで最後に収斂していった巨大な河川の巨大な河口であり、ある意味ではジャズの歴史の到達点でした。到達点であるからこそ、彼の死はジャズの歴史一つの終わりでもありました。彼の死は、すべてを吹き飛ばしてしまう巨大なエネルギーを持ったマグマの爆発でした。ジャズはこれを契機に新たな道を模索していく必要に迫られていくことになります。
 コルトレーン後に顕著になったエレクトリックなフュージョンの台頭を私は苦々しく思っていました。ニュー・ジャズの行き詰まりを切り開く必然性を持って登場したのでしょうが、同時に私がジャズから遠ざかることになる最大の要因となりました。
 マイルスですら<ビッチェズ・ブリュー>でエレキの道に突き進んでいきます。エレキ・サウンドへ転向してからのマイルスの曲を私は聴きません。またエレキ路線の代表作、チック・コリアの<リターン・トゥ・フォーエヴァー>、音楽としての値打ちは別として、私にはエレキ・ピアノはどうしても受け入れることができませんでした。

 さて、この場合「死ぬ」とか「滅ぶ」とか「終わる」とは、「ある文明的・文化的・技術的実質や伝承、ないしは現象が失われる」という意味で、言葉として多義的で油断のならない表現です。この言葉の担っている観念は大きく二つに分類できます。
 一つは、例えば<ナチス第三帝国が滅んだ>というように、政治・思想・経済等を含む文明史に現れた一つの統治機構が完全に崩壊するとともに、それが体現していた価値自体も完全に否定され、抹殺されてしまうということです。<スターリン独裁体制>も同様です。また、<アメリカの奴隷制度>、処刑道具としての<ギロチン>、世界の国々の中で死刑制度を廃止したところでの<死刑制度>などもこれに相当します。
 もう一つは、直接的にはゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより滅ぼされた<古代ローマ帝国>のように、歴史的役割を終えた後でも、その長年続いた文化の蓄積が、滅んでもなお以後の人類の歴史に大きな遺産となって影響を及ぼし続けているものです。
 これを、文化史的に技術などの伝承という面で見ると、滅びた後、過去に築かれた実績や伝統を凌駕するものが二度と生まれてこないという特徴があります。例えば<日本刀>です。南北朝時代備前長船)や鎌倉時代粟田口吉光、来国俊)の名工たちによって作られた刀剣以上のものが今後作られるという可能性はゼロです。また<李朝青磁>や<古伊万里>などの陶磁器、あるいは<ストラデヴァリ>や<グァルネリ>など17〜18世紀の北イタリアのクレモナで作られたヴァイオリンも同じです。これらは技術・文化の伝承がどこかで途切れてしまったものです。途切れたのは、革命・戦乱や時代の変わり目での価値観の変化や、あるいは人材の枯渇、伝統を継ぐべき人間の能力の低下・劣化が招いたことによります。しかし第一のものと異なり、それらが体現している価値そのものが否定された訳ではありません。むしろ伝承が途切れた分だけ過去に蓄積された文化的価値が希少性を帯び、ひと際尊ばれるということになります。それは骨董的価値と使用価値と商業的価値が合わさったものです。日本刀や、ヴァイオリンや陶磁器は現在でも盛んに作られていますし、むしろ現在のほうがむしろ技術や研究も進んでいますが、過去の作品と比べてみれば、その差は絶望的なほど隔絶しています。

 当然ジャズは後者のものとして位置付けられます。今、ジャズという言葉で呼ばれているのは、一つには、かつてラグ・タイムからバップ、クールからハード・バップ、モードからフリー・ジャズへと駆け抜けていった栄光のジャズの現代におけるエピゴーネンたちが、楽器奏法の技は長けているかも知れない亜流の演奏家たちが、各地のライブ・ハウスなどで演奏しているジャズのことです。しかし、かつては若者たちの“神”でもあった本来のジャズの姿はそこにはありません。あるのは、綺麗にお化粧したジャズの残滓にすぎません。他は、基本的にはジャズ風に味付けされたポピュラー音楽に変貌しつつあり、それらはフュージョンとかポップとか呼ばれているものです。
 ここで一息入れて、バップの両雄であるチャーリー・パーカーとデイジーガレスピーの共演(下左)と、クール・ジャズのチャンピオンであるスタンゲッツと、フリー・ジャズの巨人であるジョン・コルトレーンが共演している珍しい演奏を聴いてみましょう。(下右、オスカー・ピーターソンがピアノを弾いています。)
 
 50年代の、マイルス・デイビスやジョン・コルトレーによって確立・発展をみたモード奏法とインプロヴィゼーションの可能性の追求、それに続くセシル・テイラーやオーネットコールマンを中心としたニュー・ジャズの途方もないエネルギーの爆発の中で、モダン・ジャズの前途は限りなく拡がっているものと当時は誰もが信じて疑いませんでした。

 加えて、60年代のアメリカ黒人の被差別的な社会的状況が(マルコムXの登場で、黒人の公民権運動が先鋭化していった時期に当たり、1964年には、ハーレム暴動が起きています)、強烈な怒りのサウンドを展開するチャーリー・ミンガスマックス・ローチなど、体制・状況にノーを突き付ける黒人のジャズ・ミュージシャンたちがある種の社会的勢力となって、ジャズ全体に大きなパワーを与えていたのは事実です。そうした時代の雰囲気は、植草甚一の「ジャズの前衛と黒人たち」(晶文社、1967年刊)を読むとよく分かります。
 50年代から70年代の初めに活躍したジャズの巨人たちが積み上げてきた音楽的財産を、一面だけ受け継いでいるのが今風のソフィスティケトされた上品なジャズなのです。それらは、19世紀末から20世紀にかけてアフリカから西インド諸島を経由して入ってきた黒人奴隷の子孫たちのアフリカ固有の音楽的感性やリズム感と、アメリカへ渡ってきたヨーロッパ各地の様々な音楽や楽器、それにヴードゥーの秘儀を含む西インド諸島の音楽とが渾然となって生まれたジャズのルーツと、あまりにかけ離れてしまっています。

 最近見られるジャズの特徴的な姿としてはもう一つ、かつて隆盛を誇ったジャズ喫茶のマスターたちが、ジャズ最盛期の中で生きてきた大きな経験を財産にして出版するおびただしい紹介本の数々のなかで復活しているジャズです。最近はあまり買って読むことはありませんが、ジャズのCDの比較や推奨をしたり、かつて巡り合ったジャズ・メンたちの思い出などを書いたりしています。彼たちが、50〜60年代のジャズの全盛時代を最も知る人たちであり、ジャズという人類の歴史的財産を、ジャズをあまり知らない後世の若い人たちに伝えるのに絶好の立場の人たちと言えます。しかし、これらも結局は昔懐かしい夜店で骨董品のカタログを広げているだけのことかも知れません。
 遺憾ながら、レコード店の売り場を一瞥して分かるように、ジヤズは、売り場面積においては、全盛を誇るJ・POPに到底敵いません。そのわずかな面積さえも次第に浸食されつつあります。(クラシックのCDの売り場は更に悲惨な状況にあります。)
 悲しいことに、かつて時代の寵児であったジャズを今でもこよなく愛好している層は、過去のジャズの栄光を知る世代の人々に限られ、必然的に老齢化の一途をたどりつつあるのです。(かく言う私もそうです。)

 許光俊氏がクラシック音楽についての本のなかで、19世紀とは芸術が宗教のようになった時代だと語っていますが(「クラシックを聴け」ポプラ文庫)、ジャズもまた60年代安保で挫折感を味わうことになった時代の若者たちの宗教となったのです。私が大学に入ったのは1959年で、翌年の60年安保の成立までの間、私たちの神は「唯物論」(=マルキシズム)でした。私も大学では唯物論研究会に所属し、唯物論教科書という本をテキストに勉強会を行ったり、安保反対のデモに参加したりしていましたが、それは、何かに賭けることで生きている証を求めるといった程度のもので、主義主張への信奉などという真摯な動機ではなく、ただ時代の大きなうねりに乗りおくれまいとしてエネルギーを発散させてきたというに過ぎず、全く取るに足らない、いい加減な動機によるものでした。

 改定安保条約は、60年5月19日に衆議院強行採決され、6月15日に東大生であった樺美智子さんの死など緊張と怒りの交錯した混乱状況が極まった挙句に6月19日に国会で自然成立しました。その瞬間、それまで沸きかえっていた巨大なエネルギーが一挙にしぼみ、皆大きな虚脱感を味わうことになります。その時から、私にとっては詩とジャズが神様となりました。(詩については、いつか別に語りたいと思います。これも今や滅びかかっていると思います。)
 私たちが“神”と崇めるのはその時代で最もホットで旬なものであれば、それは何でも良かったのです。60年代は、詩もジャズもまさに旬の時代だったのです。

―「クラシック音楽は滅びかかっているか」については、次回に述べてみたいと思います。