近況<所沢ミューズ、コンサート情報><ドイツ旅行日程と”コル・ニドライ”>

 所沢ミューズのコンサート・チケットを二つ購入しました。一つは12月25日に行われるコンスタンチン・リフシッツの「ゴルトベルク変奏曲」で、もう一つは来年(2011年)の2月13日の、クリストフ・プレガルディエン(T)とアンドレアス・シュタイアー(FP)のデュオによる「白鳥の歌」「詩人の恋」より、です。前者が2,500円、後者が3,500円という破格の安さです。
 これは、リフシッツの「弾く平均律クラフィーア曲集第1巻」の冒頭のプレリュードです。心に沁み入る優しさに満ちたピアノ・タッチの素晴らしさ!珠玉のような一音一音がバッハそのもので、現代におけるこの曲のスタンダードの一つと言っていいのではないでしょうか?今までリヒテルの第1巻の過度なスピード感と不可解なピッチの高さ、こもり過ぎる茫漠としたピアノ音に首を傾げつつも、「新世界レコード」で発売されて以来聴き続けてきたフラストレーションがきれいさっぱり消え去ってしまう思いでした。リフシッツの「ゴルトベルク変奏曲」には、今から期待に胸が躍ります。

 プレガルディエンは、昨年「冬の旅」をやはり所沢ミューズで聴きましたが、今度はアンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノの伴奏で「白鳥の歌」などが聴けるとは、何という贅沢でしょう。 所沢ミューズは所沢市民の誇りで、演奏のラインナップ、ホール設備の素晴らしさ、極めて良心的なチケット価格のどれをとっても他に抜きんでていて、地方でこれだけ充実したホールはそうはないと思います。
 さて、現在わが娘がライプツィヒで遊学中ですが、10月初めには滞在期間が終わりますので、9月の末ごろ、娘を訪ねてライプツィヒへ行く予定にしています。9月29日発のルフトハンザ機でミュンヘン経由です。10月2日にはプラハに向かい、2日ほど滞在してから、ドレスデン経由でベルリンに行き、10月8日には日本に戻る予定です。この間これらの都市で特にこれといったコンサートもないようなので、各都市の歴史や文化を踏まえた探訪をしたいと思っています。ライプツィヒは無論バッハ、プラハフランツ・カフカミラン・クンデラヤナーチェック、ベルリンはもう何でもありの、往時の世界のメトロポリスです。
 カフカは昔からずっと、自分という人間存在の根底部分に棘のように刺さり、常に、いわゆる存在の不安とやらを感じさせ続けてした作家でした。「城」(前田敬作訳)は去年の8月1ケ月の入院時に、ドストエフスキーの「悪霊」(江川卓訳)とともに久しぶりにゆっくり読み返したのですが、「悪霊」は大学時代に読んだ時の感激はどこへやら、物語も登場人物も意外に荒唐無稽な粗っぽい印象で、主人公のスタヴローギンの人間像の描き方もどこか”こけおどし的”な感がいなめませんでした。一方カフカの(入院中であればこそじっくりと読める取り止めのない退屈な)未完の大作は、城をめぐる不可解で非具象的な秩序空間と、夢遊のような登場人物たちと、夢魔のような事件が織りなす世界には意外とリアリティがあり、一年経った今でもずっしりと心に残っています。(尤も、入院中に読んだ本で小説としての面白さという点では、バルザックの「暗黒事件」と、スタンダールの「パルムの僧院」が双璧でしたが。)
 私はユダヤ人問題、特に反ユダヤ主義の歴史に極めて高い関心があり、最近ではサルトルの「ユダヤ人」(岩波新書)を再読した上で、フィリップ・ビューランの「ヒトラーユダヤ人」(三交社)を読みました。この研究書は、資料を駆使していわゆるユダヤ人問題の<最終的解決>が決定された時期がいつだったのかを確定する試みとともに、史上最悪のジェノサイドが果してヒトラー個人の意思でなされたものか論じている極めて興味深い書物です。なお現在は、レオン・ポリアコフの大部の「反ユダヤ主義の歴史/全5巻」(筑摩書房)を読み初めています。この問題に関連してのドイツも見てみたいと思っています。(あ、カフカオーストリア=ハンガリー帝国下のプラハに生きたユダヤ人の作家でした。)人種差別の根源ともいえるこの深刻なテーマについては、いずれ(ポリアコフの大著を読み終えたところで)よく考えてみたいと思っています。
 これは、ヘブライ音楽の最大の傑作「コル・ニドライ」をRabbi Shlomo Carlebachという人が歌っているものをyou tubeで見つけたものです。ドイツの作曲家マックス・ブルッフがオーケストラとチェロのために作曲した「コル・ニドライ」のもとになったものです。一説によれば14世紀のイベリア半島レコンキスタの達成の結果発生した改宗ユダヤ人が、改宗したことを悔いて詠っていたものだとも言われています。この歌手は初めて聴きましたが、苦渋と悲しみに満ちた民族の魂の叫びが聴く者の胸を切々と打って止まない名曲であり名唱です。