東日本大震災の影響か、音楽会の公演延期・中止が相次ぐ。ボストリッジに続いてヘレヴェッヘも・・・。

 3月31日のイアン・ボストリッジの<テノール・リサイタル>の公演延期に続いて、今日”チケット・ぴあ”から電話があり、6月5日に予定されていたヘレヴェッヘの<ロ短調ミサ曲>の公演中止の連絡が入りました。(会場は所沢ミューズ)
 地震原発事故のせいでしょうが、日本という国が文化的にも見捨てられつつある現状を象徴している出来事なのではないかと怖れます。そういえば、原発事故の当初の洪水のような報道ぶりに比べ、今は何か奇妙な凪ぎのような落ち着きぶりですが、本当にこの事故の危機的状況が大きく改善されたのでしょうか、それとも国民に意識に悪しき慣れと鈍麻が生じたのでしょうか。外国では、矢張り強い警戒感が残っているようです。日本人の忘れやすい国民性が露呈しているのでなければいいのですが。まさに天災は忘れた頃にやってくるのですから。
 ゴールデン・ウィークを利用して、一昨日昨日と、石黒耀の『震災列島』と『死都日本』(共に、講談社文庫)を読み返してみました。共に予見性に満ちた傑作です。前者は東海・東南海の連続地震浜岡原発メルトダウン事故、後者は南九州の霧島火山帯(加久藤カルデラ)の破局噴火を背景に、政治家や官僚の愚かさと個人の勇気を交錯させた読み応えのある物語となっています。今全国民必読の書ではないでしょうか。作中の『古事記』の解釈も成程と思わせますが、ここでは触れません。
 ところで、活動期に入ったと思われる地震国日本と並んで、火山国日本を忘れてはならないでしょう。この物語のような破局噴火が起きれば、どんな大きな地震ですら児戯に類したものでしかありません。最近の桜島噴火も通常見られる南岳山頂火口のみならず昭和火口からの噴火も増え、また霧島の新燃岳の噴火の様子も何か不気味な感じがしてなりません。かつて、雲仙普賢岳の噴火がようやく治まった頃に、鹿児島から福岡行きの旅客機(今は、路線廃止となりましたが)の窓から俯瞰した普賢岳の何とも残酷で醜い、ケロイドのような火砕流の跡が今でもはっきり目に焼き付いています。当時鹿児島市に住んでいて、度重なる桜島の噴火で慣れているはずにも関わらず、普賢岳の恐ろしい有様を目にして慄然とした記憶があります。
 ヘレヴェッヘのものはありませんが、ヘルベルト・ブロムシュテット=ゲヴァントハウス管弦楽団が、私の昨年訪れたライプツィヒの聖トマス教会で演奏したと思われるバッハ<ロ短調ミサ曲>のキリエを聴いて、せめてもの慰めとしたいと思います。
 
 追記(平成23年5月28日)
 ヘレヴェッヘの<ロ短調ミサ曲>のキリエが 下記のとおり、you tubeにありました。