チェコ・フィルの思い出など

 たまたま立ち寄ったレコード・CD店で、ラファエル・クーベリックチェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏による、ドヴォルザークの「交響曲第9番新世界より)」と、ニキタ・マガロフ(P)のショパン24の前奏曲」と「ピアノ・ソナタ第3番」の入ったCDを買い求めました。

 クーベリックが1991年にプラハスメタナホールで行ったこのライブ録音は、いわゆる極め付きの名演と言われているもので、私はずっとNHKのFM放送をエアチェックしたテープを聴いてきました。クーベリックらしく熱く、しかし思い入れの強さに決して溺れることのない中庸を得た演奏です。チェコ伝統の弦楽器のパートがすすり泣くように美しく、いわゆる泣かせる演奏ではありますが、なぜか普段はイシュトヴァン・ケルテス、ウィーン・フィルの演奏を聴くことの方が多かったような気がします。流麗に音が流れ、全体的にバランスのとれた美しい演奏で、聴き易さは一番でした。
 極め付きの名演と言われますが、極め付きの名曲か?と言われると、一瞬考えてしまうところです。いわゆる名演と言われるものであっても、聴く人の人生観を揺さぶり、精神を高みに押し上げてくれるような偉大な曲と言えるかは別問題かと思われます。(比較上、後者の例としてすぐ頭に浮かんだのは、ブルックナーの「交響曲第8番」でした。)
 私は、この曲をチェコ・フィルで二度聴いています。最初は1959年10月28日に新潟県長岡市の「長岡厚生会館」で、カレル・アンチエルの指揮で聴いたのですが、私にとって外国の一流オーケストラを聴いた最初の体験で、大学に入ったばかりの年でした。極めて残響の多い、今では考えられないようなひどいホールだったのを覚えています。
 二度目は、鹿児島市の「鹿児島文化センター」で1979年に、ズデニェック・コシュラーの指揮で聴きました。それぞれ聴いた場所を考えると、私の転変の人生をそれとなく暗示しているようで、感慨深いものがあります。1979年は、昭和54年に当たり、日本がバブルに向けて走り出す助走のような時期でした。丁度私が不動産会社を設立したばかりの年で、この年以降、バブルのとてつもない大波にのみ込まれていくことになるとは、当時夢にも思わなかったのです。まさしく、嵐の前の静けさといった、将来の展望も霧の中といった不気味な感じのする時期でした。
 鹿児島の桜島桟橋の近くに「ショパン」という小さな名曲喫茶があって、1990年代の終わりころ、丁度尾羽打ち枯らしていた時期によく訪れました。採算を全く考えずに営業している禅坊主のようなマスターはショパンにのめり込んでいて、中でも彼が最も好きなピアニストが、ニキタ・マガロフでした。彼は、店を維持するために夜はスーパーのレジのバイトに出かけるという、まことに人間離れした人物だったのを覚えています。私が2001年に一旦鹿児島を離れて千葉の南房総へ行くことになってからは会っていませんし、果たして店が今もあるかどうかは分かりません。
 マガロフはそれほど聴いた覚えはありませんが、知人から、マガロフのシューマン「謝肉祭」と、カール・シューリヒトとシュトッツガルト南ドイツ放送交響楽団の演奏によるシューマンの「交響曲第3番」と「マンフレッド序曲」が一緒になった奇妙なな組み合わせの一枚のCDを貰い、しばらく耳を傾けていたことがあります。
 買い求めたCDの中では、ショパンソナタが私が聴きなれていたアルゲリッチとは少々肌合いが違って、まさに大人の風格があります。勿論アルゲリッチは、誰が何と言おうとデビューした時から私の贔屓のピアニストです・・・。聴いていて、情熱が私にそのまま乗り移ってきて魂を揺さぶります。実は、アルゲリッチと私は同じ年の生まれなのです。
 「謝肉祭」は、同一のCDに含まれているシューリヒトの演奏が、多分1960年前後と考えられますので、マガロフも同時期とすれば48歳前後の弾き盛りの時期です。聴いていて引っかかるところのない、まことに流れるような演奏です。一方、「24の前奏曲」などの方は、1991年に来日した時の演奏ですから、もう79歳で、亡くなる前の年の演奏です。とすれば、信じられないテクニックです。ヴィルトゥオーゾ(古めかしい響がありますが)とはまさに彼のような演奏家のことを言うのでしょうか。ただ私にとっては、彼の演奏を沢山聴きこんでいないせいか、今一つインパクトが足らない感じがしますが、これは、私の不勉強と未熟さの証でもあると思いますので、ご容赦いただきたいところです。
 クーベリックの「新世界より」の映像はないので、代わりに、1990年の「プラハの春音楽祭」でのクーベリックチェコ・フィルによる演奏で、スメタナの「わが祖国」より〈モルダウ〉を聴いてみます。共産主義を嫌い、祖国を離れていたクーベリックが40年ぶりに帰ってきて指揮をとった、魂の入ったまさに歴史的演奏です。思わず目頭が熱くなるのを覚えるのは、私だけではないでしょう。(残念ながらこの映像が観ることができなくなりました。代わりに、ニキタ・マガロフショパンを聴くことにします。ー5月27日)