バッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲を聴きました

 昨日(4月2日)の午後6時に、マタイを聴くために東京オペラシティで娘と落ち合いました。娘とは、2月11日に所沢ミューズで、樫本大進の「バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」などを聴いて以来の久しぶりの一緒の音楽会となります。
 今年は発売と同時に切符を購入したため、1階3列4番、5番というかぶり付きのシートが手に入りました。演奏は、6時半より3、4分遅れてスタートしました。ドイツ語とピアノを多少習っている娘も、食い入るように舞台を観続けていました。
 今回のエヴァンゲリストは、いつものゲルト・テュルクではなく、クリストフ・ゲンツという歌手でしたが、ドイツ語とはこんなに美しい言葉だったのかと、あらためて認識させてくれた胸に沁み入るような素敵な福音史家だったと思います。それに、キリスト役のバスのドミニク・ヴェルナーも、ソプラノのレイチェル・ニコルズも、素晴らしい歌唱だったと思いますし、Erbarme dich,mein Gottでの若松夏美さんのヴァイオリン・ソロも楽しみの一つでした。1曲だけアリアを歌ったソプラノの松井亜紀希さんも実にチヤーミングで、もっと聴いてみたかったところです。
 バッハの《マタイ受難曲》は1727年の初演から数えて280年以上、バッハの生誕(1685年)からはすでに325年経っています。人類の文明・文化は科学を中心にこれだけ進歩しているのに、未だに300年ほど以前のバッハの曲に勝る音楽が現れていないのは何故だろう、といつも不思議に思っています。ことは音楽だけではなく、人間の精神文化すべてにわたって同じことが言えるのではないでしょうか。本当に人間は進歩を遂げているのでしょうか。
「理性的な世界観・・の核心をなす進歩信仰は、・・人間の本然から遠くかけ離れた迷信である」と言い切ったのはジョン・グレイ(「わらの犬」みすず書房2009年10月刊)です。ここでこの本については語りませんが、老子の言葉をタイトルにしたこの本は、この10年ほどでは最も衝撃的な本でした。
 鈴木雅明さん率いるバッハ・コレギウム・ジャパンは、バッハへの熱い思い、オリジナル楽器の演奏の力、まるでバッハの生まれ代わりのような鈴木さんの宗教心に満ちた指揮ぶり、どれをとっても日本の大きな誇りだと思います。この素晴らしい演奏の前では、ただただ沈黙するしかありません。世界的評価を得た、日本人の演奏家による《マタイ受難曲》が毎年日本で聴けるなどというのは、まさに現代の奇跡です。この公演に至るまでには指揮者やそれぞれ歌手や楽団員の長年にわたる研鑽や血のにじむような練習・努力があるはずです。このような良い席でこれだけのチケット代で聴かせてもらったことにただただ感謝をしつつ帰途につきました。そして、私の足腰のたつ間は毎年聴きに来ようと、娘とも固く約束を交わしたところでした。
 左は、バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏による最終合唱、右は鈴木雅明さんの師匠にあたる、トン・コープマンの指揮によるKommt,ihr Töchterです。