海上保安庁のビデオ映像流出事件と、マーラー「交響曲第6番」<悲劇的>第4楽章で打ち下ろされるハンマーの一撃

 世の中で起こる様々な事象はすべて今まで世に現れた音楽のどこかで表現されていると、私は信じています。
 今日、海上保安庁のビデオ映像流出の犯人(と名乗り出た人物)が現れました。これまでの情報では、彼が本当の犯人なのか、犯人ならば動機は何か。義憤に駆られてのことか、愉快犯なのか、映像の入手経路はどこか、今のところ事情聴取中なので、全く分かっていません。しかしそれでも、この事件が象徴している現在の日本の置かれている状況にふさわしい曲がありました、マーラー交響曲第6番<悲劇的>です。
 そもそも国家機密などと言えないような情報を国民の眼から隠そうとした現在の政権の体質は全く国民のためになっていません。むしろ害を垂れ流し、国民を苦しめているだけです。中国を恐れて右往左往し、しかも起こったことに対する責任を常に他に押し付け、自らの責任を回避し逃げ続ける卑怯な現政権の姿を見て、当の中国からさえ馬鹿にされる結果になっており、醜悪というか、政治の世界に見る人間の劣化の有様は目を覆わんばかりです。これを国民にとって<悲劇的>と言わずして何と言えばいいのでしょう。
 この事件で、この海上保安庁職員あるいは他の実行者が(動機はどうであれ、事実として)政治や国民に対し与えた衝撃は、この交響曲第6番<悲劇的>の第4楽章のフィナーレで聴かれるハンマーのとどめの一撃そのものです。
 バーンスタインウィーンフィルの演奏でこの部分を聴いてみます。(この楽章でハンマーが叩かれるのは2回あり、これは2回目のものです。)

 また、第4楽章フィナーレの重々しい沈鬱な、諦めと畏怖に満ちた結末は、さしずめ現代の状況の、そしてそこに生きる我々の行き着く先を暗示しているように思えます。
 同じくバーンスタインの指揮で最後の部分を聴いてみます。

 それにしてもyou tubeを運営するGoogleは偉いものです。日本の、いわゆる大マスコミではこうはいきません。
 またGoogleは他にも、映像も書籍も含め、あの手この手で時代遅れの著作権に果敢に挑戦しています。知的財産を広く人類が利用できるべく、蛮勇を振るっているかのように見えます。