エスピオナージュの系譜と、その舞台となった冷戦時代に翻弄され続けた作曲家ショスタコーヴィチの「森の歌」

 しばらくぶりに日本のエスピオナージュを読みました。第53回江戸川乱歩賞を受賞した曽根圭介の「沈底魚」(講談社文庫)です。文章がやや類型的なのと会話があまり上手いとは言えないので、始めのうちは読み続けられるか心配していましたが、やがて物語も快適に展開し始め、プロットに引きずられて一気に読了してしまいました。最後の方は粗筋だけになってしまった感じがしましたが、それなりに面白く読みました。
 エスピオナージュ、いわゆるスパイ小説は、お国柄や冷戦時代における国際的地位や地政学上の問題、あるいはまともな諜報機関の不在から、日本ではあまり盛んとは言えません。作家では中薗英輔(「密書」)や結城昌治(「ゴメスの名はゴメス」)などが、最近では麻生幾などが先ず頭に浮かびますが、日本のミステリーの系譜の中では大した位置は占めていません。エスピオナージュの本場は、何と言ってもイギリスです。
 エスピオナージュに最も豊饒な土壌を提供してきたのはスターリン治下のソ連で、このジャンルの傑作の殆どがMI6対KGB(まれにCIA対KGBモサドKGBなど)の諜報戦という筋立てになっています。それ以前ははナチス・ドイツが、以後は中国や北朝鮮、あるいはパレスチナ・ゲリラ(または、アラブのテロリスト)が敵役となっています。。
 それにしても欧米におけるスパイ小説の見上げるような高峰の連なりには圧倒されます。
 以下、かつて夢中になって読みふけったエスピオナージュの傑作の数々を挙げてみます。(いちいち明記しませんが、これらの翻訳の大部分は、ハヤカワ文庫、ハヤカワ・ミステリ文庫、新潮文庫で刊行されています。)
ジョン・バカン「三十九階段」(この作品がスパイ小説の開祖。ヒッチコックがロバート・ドーナットやマデリーン・キャロルを主演に映画化。)
グレアム・グリーンヒューマン・ファクター」(イギリス情報部でグリーンの上司であったキム・フィルビー事件をモデルにした、言わずと知れた巨匠の傑作。私見では、エスピオナージュの金字塔。もう何度も読みました。)
 グリーンではほかに、フリッツ・ラング監督がレイ・ミランドを主役に映画化した「恐怖省」や、アレック・ギネスを主演にキャロル・リードが監督をしたエスピオナージュを風刺喜劇とした「ハバナの男」などもあります。
ジョン・ル・カレ「寒い国から帰って来たスパイ」(この作品は今でもスパイ小説の頂点の座を占めていると思います。マーティン・リット監督、リチャード・バートン主演で映画化。)
フレデリック・フォーサイスジャッカルの日」(フレッド・ジンネマン監督、エドワード・フォックス主演で映画化。)
ブライアン・フリーマントル「別れを告げに来た男」、また「消されかけた男」などチャーリー・マフィンのシリーズ。
エリック・アンブラー「ディミトリオスの棺」、「あるスパイの墓銘碑」
マイケル・バー=ゾウハー「パンドラ抹殺文書」、「ファントム謀略ルート」
デズモンド・バグリイマッキントッシュの男」(作者はアリステア・マクリーンと並ぶ冒険小説の一方の旗頭ですが、ジョン・ヒューストン監督、ポール・ニューマン主演で映画化された、作者唯一のエスピオナージュ。)
トレヴェニアン「シブミ」、「アイガー・サンクション」(後者はクリント・イーストウッドが監督・主演で映画化。)
レン・デイトン「イプクレス・ファイル」、「ベルリンの葬送」
ロバート・リテル「ルウインターの亡命」
ピエール・ノールエスピオナージ」(このジャンルでは珍しくフランスの作家。アンリ・ヴェルヌイユ監督、ユル・ブリンナーヘンリー・フォンダ主演で映画化。)
トマス・ハリスブラック・サンデー」(「羊たちの沈黙」の作者ですが、こちらの方が格段に面白い。ただ、厳密なエスピオナージュとは言えないかも知れません。ジョン・フランケンハイマー監督、ロバート・ショウ主演で映画化。モサドパレスチナ・ゲリラ”黒い九月”。)
アリステア・マクリーン「最後の国境線」(冒険小説の雄、マクリーンの作品では、最もエスピオナージュらしい作品にして最高傑作。)
ジェイムズ・グレイディ「コンドルの六日間」(シドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演で映画化。タイトルは「コンドル」)
など枚挙にいとまがありません。これらはみな、一読巻を置くことあたわざる、手に汗を握る傑作中の傑作です。映画もそれぞれ面白いものばかりです。(イアン・フレミングロバート・ラドラムは除きました。やや荒唐無稽でかつ類型的で、作品として評価し難しいことが理由です。)
 欧米の作品に比べて日本の諸作品は、陰々滅滅とした雰囲気の漂うスケールの小さいものがほとんどです。いわゆるエスピオナージュではありませんが、国際的なスケールの冒険小説としては、船戸与一の「山猫の夏」(講談社文庫)や「降臨の群れ」(集英社文庫)を始めとする作品群が、デズモンド・バグリイに匹敵するスケールの大きさとプロットの面白さで読ませます。
 欧米のスパイ小説の傑作の殆どが米ソ冷戦時代を舞台にしています。そうした冷戦の権化スターリン時代において政治に翻弄されることの最も大きかった作曲家はドミートリイ・ショスタコーヴィチです。彼の交響曲第9番がジダーノフ批判との関連でスターリンの逆鱗に触れた後、スターリンを讃える必要に迫られ、操を曲げてまでして当時スターリンが力を注いでいた植林事業をほめたたえる作品、オラトリオ「森の歌」を作曲し、やっと地位回復をはかることができたと言われています。
 大学の頃、そんな事情も知らずにこの曲を純粋に音楽として好んで聴いていたことを思い出します。経緯を考えなければ、ロシアの森の風景と働く人の姿が目に浮かぶ、耳になじみ易い名曲だと思いますが。当時聴いていたのはムラヴィンスキーレニングラードフィルの演奏です。
 なお、スターリン批判に伴い、1962年にショスタコーヴィチ自身がスターリン絶賛部分の歌詞を大幅に改訂しています。
 今までにこの曲を演奏をしてきた主な指揮者は、(ムラヴィンスキーを別にすれば)ウラジーミル・フェドセーエフ、エフゲニー・スヴェトラーノフ(故人)、ユーリ・テミルカーノフのほぼ3人で、歌詞の選択(オリジナルか1962年改訂版か)は指揮者に任されているようです。この曲の演奏をめぐってはソ連邦崩壊時にフェドセーエフのとった武勇伝的行動が有名ですがここでは省略します。
 なお、日本では合唱曲としてうたごえ運動などの中で盛んに歌われていました。
 以下は、2006年にテミルカーノフサンクトペテルブルグフィルハーモニー交響楽団を引き連れて来日した際、サントリーホールで演奏した記録です。全曲を3分割してyou tubeに投稿されていますが、最初の1/3だけを聴いてみます。第1曲<勝利>(1962年改訂版では<戦争が終わったとき>)の最初に歌われるバスのアリアが印象的です。

 本年3月14日(私の誕生日でした)から始めたブログも、今日大晦日となってこれが今年最後の投稿(54本目)になります。政治・経済・国際関係など激動の1年でしたが、肝心の問題はすべて先送りされ、不安の霧に包まれたまま新年を迎えることになります。日本という国が果たして本当にこのまま衰退していってしまうのか、もしかして私たちは、J.G.バラードの描く破滅の世界のように、はるか彼方の星座から送られてくる宇宙の終末へのカウントダウン信号を数え初めているのではないか(「時の声」創元SF文庫)、それはここ1〜2年のうちに少しははっきりするような気がします。このブログも当初の目論見からやや逸れて、今起こりつつある様々な事象やその遠因となっている歴史に目が向いてしまいがちになりました。これにどう方向を与えていったらいいかは来年の課題です。