国立能楽堂で世阿弥の<高野物狂>を観る。そして音曲に酔いつつ空海について考える。



 4月6日、午後2時より、国立能楽堂の4月定例公演で、狂言<八句連歌>と、能<高野物狂>を観ました。久しぶりに暖かい日で気持ちよく晴れ上がった青空の下、国立能楽堂は大勢の観客であふれていました。敷地内の桜の樹も満開に近く、このところ東日本大震災ですっかり荒んでしまった私たちの心を僅かに慰めてくれました。この日はまた、春休みでドイツから帰国していてちょうど大震災の時日本に居合わせた娘が、ベルリンへ戻った日でした。
 この日の出し物は、先ず狂言の<八句連歌>で、野村万作・万斎親子が共演し、息の合ったユーモアたっぷりの舞台で観客をひきつけ、さわやかな笑いを誘っていました。
 そして本日の能は世阿弥の<高野物狂>(元禄版本)で、直面(ひためん)の、珍しい男物狂の作品です。シテは片山幽雪師で、至芸を披露されましたが、ややお疲れのようにお見受けしました。(私の気のせいならばよいのですが。)ワキは宝生閑師のご子息の宝生欣哉師で、朗々とした豊かな声が印象的でした。
 直面について世阿弥は『風姿花伝第二』で、
「これまた大事なり。およそ、もとより俗の身なれば、やすかりぬべき事なれども、ふしぎに、能の位上らねば、直面は見られぬものなり。」(これもまたむつかしい。そもそも役者がもともと成人男子なのだから、簡単であるはずなのだが、不思議に、芸の格が上がらないと、素顔で演じる能は見られたものではない。―竹本幹夫訳)
と述べています。
 さらに『風姿花伝第一』の<年来稽古条条>の”四十四五”の中で、
「まづ、すぐれたらん美男は知らず、よきほどの人も、直面の申楽は、年寄りては見られぬものなり。さるほどに、この一方は欠けたり。」(まずもって、非常な美男ならばともかく、かなりの容姿の主であっても、素顔で演じる能は、年をとっては見られたものではない。であるから、この直面という一分野は、持ち芸から脱落するのである―竹本幹夫訳)
とも言っています。

 片山師は、芸の格の点では申し分ないのですが・・・。ふと、この舞台の一番奥で後見を勤めていた遠目にも美男子ぶりの際立つ観世清和師がシテであったら、と思ったりしました。
 この舞台では、とりわけ囃子(笛と小鼓、大鼓)と地謡が重要な役割を占めているように思えます。先ず、肺腑をえぐる鋭い笛で舞台がはじまり、胸にずんと応える充実した地謡が続きます。ただならぬ緊張感で舞台が張りつめているとシテが登場します。中入り後も気迫のこもった甲高い笛で開始します。かくの如く藤田六郎兵衛師の笛は素晴らしいものでしたし、小鼓の大倉源次郎師、大鼓の亀井広忠師という名人上手が揃い、気合いをこめた掛け声と鼓の音との絶妙な間合いの心地よさに酔いしれました。

 この能は高野山が舞台ですが、実は前回採りあげた、日本の名著「新井白石」の付録の中の対談集で、湯川秀樹博士が自分の好きな日本の思想家の第一位に空海を挙げておられるのを知り、早速空海の『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)を手に入れて読んでいたところでした。この書は「空海が自身の大著『十住心論』の精要として著したもの」(立川武蔵氏の解説)といわれている著作です。
 幸田露伴は<文学史にあらわれたる弘法大師>という講演の中で空海の代表的著作である『秘密曼荼羅十住心論』について「併し何という立派な文章でありましょう。十住心論の如きは蓋し単に文学としても、即ち著述の本意に於ては無価値のものとしたところで立派に世に存するに足るもので、文学史上には之を逸することの出来無いもので有ります。」と述べていますが、私が『秘蔵宝鑰』を宮坂宥勝氏の訳注を参照しながら読んでいるのも、空海の卓越した文章力を僅かでも味わいたいがためでした。


 例えば、『秘蔵宝鑰』の巻頭に置かれた<序詩>は、勿論漢文の書き下し文ですが、読めば読むほど隔絶した、とても人間業とは思えない根源的な言葉の力と圧倒的な詩的感性をひしひしと感じます。つとに有名な最後の三行を引用してみます。
  四生(ししょう)の盲者は盲なることを識(さと)らず
  生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く
  死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し
*四生とは、あらゆる生きものを四種類に分けたもので、胎生、卵生、湿生、化生をいう。(宮坂宥勝氏の語釈より)
 空海本人の著作以外に、先ず宮坂宥勝氏の『空海 生涯と思想』(ちくま学芸文庫、2003.9.10)を読み、現在は松岡正剛氏の『空海の夢』(春秋社、2005.12.30)と、もう何度目になるか分からない位読み続けてきた司馬遼太郎氏の『空海の風景』(中央公論社、S.50.11.30)を併読しています。空海については稿を改めて考えてみたいと思っています。

 なお、公演が終わって、一緒に能を観た職場の同僚と新大久保の韓国料理店「おんどる」で食事をしました。午後4時頃という中途半端な時間帯のせいか、さすがにこの有名店も比較的空いていて、待たずに食事ができました。炭火焼肉と海鮮チヂミ、サラダとチャンジャと冷麺をいただきましたが、どれも水準を超えたおいしさでした。また店の方々のサービスも実に行き届いたもので感心しました。また是非訪れたいと思っています。