初めての能・狂言<能『鵜飼』を観る>

 7月18日に何の気なしにNHK教育テレビの「日本の伝統芸能」にチャンネルを合わせて、そのまま眼が釘付けになりました。観世流の能『三輪』の舞台です。シテは梅若玄祥、ワキは宝生閑という現代のシテ、ワキを代表する名人が出演していました。面の深い表現性と能装束の見事さとシテの動きの幽玄さがあまりに面白く、これは何としても梅若玄祥の舞台を間近に見たいという衝動にかられ、webで調べたところ、8月4日に国立能楽堂で行われる能楽座の自主公演に出演するではありませんか!早速申し込んだところ、正面8列5番という申し分のない席が手に入りました。
 何しろ能・狂言の本舞台を観るのは生まれて初めてというビギナーの感想ですので、見当外れのところも多いと思いますが、どうかお許しをお願いします。
 『鵜飼』の台本を繰り返し読み、また他にも若干の俄か勉強をした上で、当日に臨みました。
 下記は、当日の国立能楽堂の風景です。
 
 8月4日、午後2時より開演です。第16回能楽座自主公演で、演目と出演者は次の通りです。
 舞囃子 松風    舞 観世銕之丞  笛 松田弘之  小鼓 観世豊純  太鼓 山本 孝
 狂言  月見座頭  座頭 茂山千之丞  上京の男  茂山千五郎
 舞囃子 頼政    舞 片山幽雪  笛 松田弘之  小鼓 大蔵源次郎  太鼓 安福光雄
 小舞  通園     舞 野村 萬  
 一調  鐘之段   謡 近藤乾之助  小鼓 曽和博朗
 一調  土蜘蛛   謡 福王茂十郎  太鼓 三島元太郎
 語り   文蔵     語 野村万作
 能    鵜飼    前シテ/鵜飼の老人 大槻文蔵
              後シテ/地獄の鬼  梅若玄祥
              ワキ/僧 宝生 閑  従僧 宝生欣哉
              石和川辺の人 茂山あきら
              笛 藤田六郎兵衛  小鼓 観世新九郎  太鼓 安福建雄  太鼓 観世元伯 
 この中には、人間国宝に指定されている、片山幽雪、野村 萬、曽和博朗、野村万作、宝生 閑、安福建雄、の6名が含まれています。
 まず、松田弘之の笛には強く心魅かれました。これはもう西洋古楽器フラウト・トラヴェルソどころではない、もっと奥深い、日本人の魂に直接訴えかける伝統の力を感じました。その奏力も素晴らしいものがありました。
 狂言の『月見座頭』もむろん初めての狂言観賞体験です。座頭役の茂山千之丞は、何と1923年生まれの87(86?)歳と、今回の出演者のなかでの最高齢ですが、舞台でのセリフも力強くてはっきりと聴き取れ、長年研鑽と経験の積み重ねてきたという歴史の重みを如実に感じました。月見のしっとりとして陶然とした雰囲気がよく出ていて、それがため後半の暗転と、そこに見える人間性の残酷さが一層際立って心に迫ります。
 次に驚いたのは、片山幽雪の舞です。1930年生まれの80歳になんなんとする大先達ですが、腹の底からしぼりだすような謡の入神の技、長年積み重ねたシテの経歴が生み出す貫録と居住まいの正しさ、そして何ものをも見透さずにはおかない炯炯たる眼光、この人間国宝の舞にはすっかり心を奪われました。
 野村萬の小舞もまことに融通無碍とでも言うべきか、さすがに狂言の第一人者らしい洒脱さが滲み出ていました。野村萬は片山幽雪と同年齢です。 
 さて、今日の主演目の『鵜飼』です。まずワキの宝生閑がワキツレを従え登場します。1934年生まれの、ワキとして欠くべからざる、舞台出演回数の極めて多い名人です。ワキの役柄は安房・清澄の僧です。この旅僧は出身からし日蓮を彷彿とさせます。(私はこの清澄の地<天津小湊>に10年ほど前に1年間だけ住んだことがありますので、そこはかとない懐かしさがあります。)
 前ジテは大槻文蔵で、石和川(現在の笛吹川)の鵜使いの老人として登場しますが、これは実は鵜使いの亡霊なのです。前シテの面は<笑尉>です。密漁をした罪で殺された鵜使いの老人は、僧の勧めで懺悔のために川面に松明を振り立てて鵜飼の業を披露し、姿を消します。僧は従僧とともに河原の石に一字ずつ経文を書いて波間に沈めて鵜使いの老人を供養します。
 そこで揚幕がさっと揚がり、囃子に乗って後ジテの地獄の鬼が、橋ガカリをずんずんと進んで本舞台へ登場します。後ジテが<小癋見>の面をつけ絢爛たる鬼の装束(唐冠、狩衣、半切の袴)を纏って登場した瞬間は、思わず胸が高鳴りました。務めるのは、今回のお目当ての梅若玄祥です。まことに迫力満点です。
 地獄の鬼は、鵜使いが無事に成仏したことを告げ、それを可能にした法華経の徳をたたえて舞います。台本にも「法華の御法(みのり)の済(たす)け舟、篝火も浮かぶ気色かな」とあるので、僧が日蓮宗の僧ということは分かります。ただし、日蓮とまでは書いてありません。 
 この作品は、作者は榎並左衛門五郎ですが、それに世阿弥がかなり手を入れていて、能の種類としては夢幻能で、五番目物となっています。また、前ジテと後ジテが異なる人格であるのも珍しいそうです。
 ひとつ引っかかったのは、いろいろな本などの解説では、前ジテが鵜飼の業をみせたあと、霊をで弔ってほしいと僧に頼み姿を消すとなっていましたが、この日の舞台では前ジテは後ジテが現れても舞台から去らず、そのまま最後まで残っていたことです。いつまでも去らない前ジテを観ていて、”あれ、変だな”と思いました。もともとこのような演出方法だったのでしょうか、何しろ初めて観る舞台なので、ごく初歩的なところでつまずいてしまいました。舞台から去らなくても、座って動かないということで、消えたとみなせばいいのでしょうか。これはビギナーとしての幼稚な疑問です。
 プログラムに、「古演出による」とありましたので、昔の演出では前ジテが退場しなかったのかも知れません。だとしたら、その「昔」とはいつのことでしょうか。前ジテと後ジテは別人格なので、同時に存在しても別に矛盾はしませんが、前ジテ(鵜使いの老人)はやはり舞台を去ったほうが自然に思えます。
 この疑問は今日(8月8日)何気なしにWikipediaを見たときに氷解しました。「かつては前ジテの老人が退場せずに舞台に残ったまま、別の役者が演じる後ジテの地獄の鬼が登場したのではないか、という指摘もある(岩波日本古典大系謡曲集」上)」とありました。そこで早速所”沢市立図書館”へ走り、岩波の「日本古典文学大系」に当たってみました。
 横道萬里雄氏の解説の備考に、「前場に重点があり、前場だけで一応の完結を見ている。後場世阿弥時代の増補かも知れない。」とこの能の構造を分析した上で、「またあるいは、シテは終わりまで退場せぬまま、別役の鬼が出たのかもしれない。それだと『松山鏡』型である。」と述べています。この指摘は慧眼というほかはありません。(「日本古典文学大系40、謡曲集上」岩波書店
 横道氏の洞察により、今回の演出方法とその由来が分かったような気がします。ただ、前ジテが舞台に残り続ける必然性については、なお十分に腹に落ちてはいません。
 なお、『松山鏡』は新潟県松之山に残る伝説に由来し、落語の演目でも有名です。ただし、謡曲は落語とは全く内容を異にし、地獄から来た母(ツレ)の幽霊を、閻魔大王の部下具生神(シテ)が連れ戻しに来たが、娘の弔う功力によって母が菩薩になったので、具生神は一人地獄へ戻るという、『鵜飼』と似たような組み立てになっています。ツレがなくシテのみであれ ば、『鵜飼』と似た五番目物になったと言われているものです。
 さて、『鵜飼』の台本で「(a)鵜舟の篝火影消えて、闇路に帰るこの身の、(b)名残惜しさをいかにせん、名残惜しさをいかにせん。」の部分の、前半(a)の舞台上の動きの注記に(涙を押さえたまま右回りに常座へ行き)と、後半(b)の注記に(常座でワキの姿をじっと見こみ、橋掛リへ去る)とありますから、やはり普通なら鵜使いの老人は闇に消えるところなのでしょう。(前記の謡曲集上より引用。なお、この動きの注記は”観世流現行の動きによった”とあります。本来は詞章の底本と同時代の型付(演出台帳)によるべきであろうが、それは現状では得ることは困難としています。)
 ところで、後ジテの地獄の鬼を演じた梅若玄祥は2008年に、五十六世梅若六郎改メ二代梅若玄祥を襲名したシテ方観世流の第一人者で、日本を代表する能楽師の一人です。NHKテレビで見た『三輪』の演技が、私に能への開眼のきっかけを与え、日本の古典芸能の広くて深遠なる世界を私の前に開いてくれたのです。
 師は玄祥を襲名する以前、2003年7月に、五十六世梅若六郎名で、舞台生活50周年をふりかえった随筆集『まことの花』(世界文化社)という本を上梓しています。祖父の二世梅若実や父の五十五世梅若六郎より受けた修業の様子や肉親としての情などが生き生きと語られています。梅若家に伝わる貴重な写真が多く掲載されており、また長年舞台に立ち続けた名人能楽師でなければ語れない芸術談義が披露され、能楽に関心のある人には必読の書となっています。
 このブログはもともと音楽に関連するブログなので、本来ならば能の音楽について語るべきなのでしょうが、何しろ能というものの入口にやっと辿りついたばかりで、語りうるほどの知識も見識も持ち合わせていません。そこで、次回を期すということで、今回は何とぞ御容赦をお願いいたします。