インテルメッツォ (5) (ちょっとひと休み) 音楽を聴くのをちょっとひとやすみして・・・<読書><落語><能>そして<論語>                                                      

 このところ音楽を全く聴いていません。2月13日に、ブルガルディエン=シュタイアーのコンサートに行って以来、音楽CDからは全く遠ざかったままです。ときどきこうした時期が訪れます。棚に並んだ音楽のCDの列を眺めていても、今はさっぱり気持ちがそそられません。
 その間、川上弘美の「真鶴」を読み直し、「ヴォツェック」について書いた際読んだビューヒナーの「レンツ」との共通点に思い及び、「レンツ」を読み返しあらためて感嘆してみたり、志ん生圓生などの落語のCDを聴いて笑って日を過ごしています。
読書― 
 まず、「真鶴」と「レンツ」の共通点は、主人公の病的な視点から書かれていることです。病気とは<統合失調症>のことです。勿論ビューヒナーがこの短編を書いたのは(1836年)、この病気をフランスの精神科医ベネディクト・モレルが史上初めて<早発性痴呆>と公的に記述した1852年よりも16年も前のことです。その後エミール・クレペリンなどの著書でこの名前が現れたのち、1911年にスイスの精神科医オイゲン・ブロイラーが<Dementia Praecox早発性痴呆>を<Schizophrenie精神分裂病>と改名しました。<精神分裂病>が<統合失調症>に変わったのは、日本精神神経学会に対する全家連の改名の要望が実現して、2002年に厚生労働省が正式にこの名称の使用を認めたときからです。

「真鶴」では主人公がやや回復に向い始めているように感じるのに対し、歴史上の人物でもある「レンツ」では主人公の病気が次第に進行していく過程が描かれ、美しい自然描写を背景として、精神の闇が次第に深まっていく様子が克明であるだけに、運命の残酷さをひしひしと感じます。この物語が終わったところから10年後にレンツはロシアの街(モスクワ)の路上で客死しています。
 作品の出来栄えについては比較しても仕方ありませんが、それにしても「レンツ」は読めば読むほどただ感嘆するしかない傑作です。更に「ダントンの死」「ヴォツェック」と読み進めば、僅か23、4歳でこれだけ時代を超越した傑作をものしたビューヒナーとは、まさしく天才であることが分かります。この作家であり自然科学者でもある人物の全貌が知りたくなり、webの「本と文化の街 スーパー源氏」を通して、河出書房新社で1970年に刊行された「ゲオルグビューヒナー全集」全一巻(中古)を手に入れました。今はここに収録された多くの書簡、前記の作品以外の詩や文章、ハンス.E.ノサックを初めとするゲオルグビューヒナー賞受賞者たちの受賞記念のスピーチなどをゆっくりと読みつつあります。
「真鶴」は、初期の「蛇を踏む」と比較すると、川上弘美独特の変身(あるいは幻視・妄想)の物語が、鶴の恩返しに似た(それも逆の)設定から、世阿弥の夢幻能の世界(文春文庫の三浦雅士の解説)にまで熟成しているように読めます。また、<認知症>の病態にこれほど性的な側面を強く見て描写している洞察力にも”はっ”とさせられました。
落語― 
 さて落語に話題を変えると、子供の頃からの落語好きで、小学校の頃に「落語全集」を読みすぎて父親から取り上げられたほどです。当時は、桂文楽春風亭柳橋春風亭柳好、3代目三遊亭金馬桂三木助古今亭志ん生金原亭馬生柳家小さん三笑亭可楽など名人上手が綺羅星のごとく犇めいていました。当時は浪花節も好きで、2代目沢虎造、寿々木米若、浪花亭綾太郎、三門博、春日井梅鶯、玉川勝太郎、梅中軒鶯童、 東家浦太郎など多士済々の黄金時代でした。

 殆どをNHKのラジオ放送で聴いたものです。中でも金馬や柳橋のファンでした。三木助の「芝浜」も暮れ近くになるといつも放送され、ほろりとする心温まる人情話で、これも大好きでした。
 あらためて、志ん生(火焔太鼓・替り目)、圓生(妾馬・阿武松)、三木助(芝浜)、可楽(らくだ・二番煎じ)、文楽(寝床)、正蔵(天災)、小さん(青菜)と聴いてみて、久しぶりに楽しい思いをしました。志ん生は天才的な話芸でしたがほとんど酔っぱらったような破天荒なところがあって、滑舌にやや難がありましたがとにかく凄みを感じました。圓生は噺の流れの作り方が上手く、いつでも楽しめました。三木助も相変わらずしんみりと聴かせましたし、可楽も聴き込むと中毒になりそうな玄人好みの芸です。文楽は完璧な話芸を披露しますが、楽しさという点ではやや問題があり、堅苦しさが否めませんでした。
 この写真は、三遊亭圓生です。
能― 

 今日(2月27日)、NHKテレビの能楽鑑賞会で、観世流の当代である観世清和がシテ(武蔵坊弁慶)を務める能「安宅」を観ました。チャンネルを廻していて偶々観たので、論評するほどのものは持ち合わせませんが、登場人物の多さにはびっくりしました。また、いわゆる「直面」(ひためん)で、面が一切使用されていない能も初めて観ました。当代はすらりとした大変な美男子で、<絵になる>という表現にぴったりでした。また、ワキ(富樫某)はご存じ現在の能楽ワキ方の至宝とも言える宝生閑で、この人の八面六臂の活躍ぶりには脱帽です。宝生流のみならず何流でも関係がないようです。アイ(強力)を狂言師山本東次郎が演じ、笛は一噌庸二、小鼓は大蔵源次郎、大鼓は亀井忠雄という名人上手がつとめています。楽器は実際の舞台では観客席から遠いのですが、そこはテレビの良いところで、楽器奏者の名人芸がアップで心行くまで拝見出来て大満足でした。あらためて能舞台における楽器の重要性(かけ声を含め)を認識したところです。
 上は「安宅」の舞台ですが、今日のテレビの舞台とは関係ありません・
論語 

 駆け足になりますが、最後に、今夜の風呂に浸かりながらの読書で(これは私の数少ない楽しみの一つです)、ぱらぱらめくって思わず唸った「論語」の言葉のいくつかを、現在の政府のお歴々に献呈したいと思います。
 昔の政治家を初めとする社会のリーダー、教養人は、必ず「論語」を学び、生きる糧(かて)としたものですが、今の政治家でこれを読んで血肉化している人はそう多くはないでしょう。
 伊藤仁斎の言う<最上至極宇宙第一の書>(「童子問」)は現代においても未だその価値を失っていないと思いますが。(以下、出典は金谷治訳注の岩波文庫本「論語」です。)


1、子の曰わく、古者、言これ出ださざるは、躬(み)の遠ばざるを恥じてなり。(巻第二 里仁第四)
 訳:先生が言われた、「昔の人がことばを〔軽々しく〕口にしなかったのは、実践がそれに追いつけないことを恥じたからだ。」
2、子の曰わく、君子は言を訥にして、行に敏ならんと欲す。(巻第二 里仁第四)
 訳:先生が言われた、「君子は、口を重くして、実践につとめるようにありたいと望む。」
3、子の曰わく、焉んぞ侫を用いん。人に禦(あた)るに口給を以てすれば、屢〃人に憎まる。(巻第三 公治長第五)
 訳:・・・先生は言われた、「どうして弁の立つ必要があろう。口先の機転で人と応対しているのでは、人から憎まれがちなものだ。・・・」