喜多流能「竹雪」を観る―国立能楽堂にて


 2月18日(金)に職場の同僚3人と共に、国立能楽堂にて、定例公演の狂言「惣八」と、喜多流能「竹雪」を観ました。(今回は狂言についての言及は省略します。)
「竹雪」は曲目としては稀曲であり、現在ではシテ五流の中でも喜多流宝生流でのみで、それもまれにしか上演されない演目です。(金剛流では廃曲になったと「能・狂言事典」には記されていましたが、「国立能楽堂」第330号の解説では廃曲にしていないと書いてあります?)
 シテは友枝昭世などとともに喜多流の重鎮である香川靖嗣で、昨年観た梅若玄祥の堂々たる風格とはまた違って、やや押えた繊細でありながら存在感のある演技で、内省的な趣がありました。それは、香川師のキャラクターの他に、夢幻能と異なってシテが生きた人間を演ずる難しさから来る工夫が反映されているからでしょうか。
「竹雪」は前回に観た観世流梅若玄祥の「鵜飼」にくらべると、華やかさで劣りますが、きりりと締まった落ち着いた舞台で好印象を受けました。シテもあざとさは全くなく、むしろアイ(継母)の野村萬斎が(衣装も含め)一番目立ったほどでしたが、それでさえ至って控えめな演技でした。
「竹雪」は典型的な儀理能です。儀理能については西野春雄氏の説明が簡潔にして委曲を尽くしていますので下記に引用させていただきます。
「儀理能とは、劇的筋立てを第一義とする能であり、主として問答の積み重ねによって筋を展開させてゆく能、詰めどころ(=山場。例、親子再会)の不可欠な能、という事ができる。謡を聞かせ舞を見せることに比重を置く歌舞(風流)能に対立する能だ。」(法政大学国文学会「日本文学誌要」1968.06.29)
 世阿弥の「風姿花伝」にも儀理という言葉が、<文句の面白さ>とか<劇的筋>などを表わすものとして出てきます。(第五 奥義、第六 花修)

 稀曲ということもあって、今度の公演はどうしても事前に台本が手に入らず、会場で「喜多流稽古用完本」を買い求め、また前記の「国立能楽堂」第330号にも詞章(台本)が記載されてあったので、それらで筋を追いながらの観劇になりました。筋は大変分かりやすい、世界共通の<継子いじめ>でした。ただ、後場に登場した雪竹の作り物が、私の席からは正面の視界をやや遮ることになって、少々見づらかったのは残念でした。
 それにしても月若(子方)の友枝大風君の可愛さは特筆できます。たどたどしくも、しかし正確な台詞(セリフ)廻しには感嘆しました。また、月若が死んだあと、雪の中で長時間横たわる我慢強さにも、役柄とはいえ驚きました。
 継母に死へ追いやられた月若は、最後に唐突に「竹林の七賢」の威徳で息を吹き返しますが、これはいかにも取ってつけたようで、劇を少し弱くしているような気がします。
 喜多流では1996年に堂本正樹などが改訂した台本で上演されているとのことですが、今回もその台本に基づく再改訂版で上演されたと記されています。
 儀理能もそれなりに面白いのですが、能はやはり「夢幻能」に限ります。6月17日の国立能楽堂主催公演では、梅若玄祥が演じる二番目物の修羅能「通盛」が上演されますので、これは是非観たいと思っています。
 なお、昨年8月4日に国立能楽堂で観た狂言「月見座頭」で座頭を演じられた茂山千之丞師が、昨年12月4日に鬼籍に入られました。当日素晴らしい演技を披露して下さった茂山千之丞師のご逝去に対し心から哀悼の意を表したいと思います。
 
 この夜は帰りに新宿歌舞伎町の「さしあげ亭」という富山の魚などを食べさせる店で、共に観劇した同僚3人と一杯やりました。これがこの日一番楽しい時間でした。刺身も、串揚げも、焼き物もみなおいしく、料金もリーズナブルでとても素敵な店です。
 そう言えば、ここは昨年の6月11日に、娘が翌月からドイツへ遊学するので壮行会を兼ねて食事をした店でした。
 次回の観劇の帰りには、同僚たちと新大久保の「おんどる」か「ハンヤン」あたりで韓国料理を食べたいと思っています。
(今回は、音楽とはあまり関係ないのが心苦しいのですが・・・。)