ライプツィヒだより、その2(遊学中の娘より)、そして<聖トーマス教会>写真集

 以前から娘に頼んでおいた聖トーマス教会の内外の写真が、8月7日に大量にメールで送信され、翌日8日には、同教会で行われた鈴木雅明氏のオルガン・コンサートを聴きに行った時に撮った写真も送られてきました。演奏に使用したのは、ザウアー・オルガンではなく、小さいバッハ・オルガンの方だったそうです。
 Bach Orgel Festivalという7週連続のコンサートの最終日で、入場料は10ユーロ、かなり満席で、コンサート後は教会前で聴衆に無料でシャンパンがふるまわれ、鈴木氏もそこで普通にシャンパンを飲み、サインに気軽に応じていたとのことです。娘もサインを貰ったり、写真を撮ったりしたそうです。
 この写真の中からいくつかを紹介してみたいと思います。
 教会の内外取り混ぜて18枚ほどです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ついでに一言。
 バッハが就任したトーマス・カントルについてギュンター・シュティラーは『バッハとライプツィヒの教会生活』の中で、「バッハがこの職を志願したとき、今日のような意味でのトーマス・カントルはまだ存在しなかった」と指摘し、「当時存在していたのは、市の<音楽監督>および<カントル>という二重の職務であった」し、「バッハが主要な任務とみなしたものは<音楽監督>と結びついた義務および責務であって、学校に関するものではなかった」、と言うのです。
 また「アルノルト・シェーリングが<聖トーマス教会のカントル>というくりかえしバッハに与えられる呼称は誤っている、と指摘したことは正しい」とし、さらに「バッハのライプツィヒ在任時代全体を通じ、この町の最も重要な教会はトーマス教会ではなくニコライ教会であったから」と断言しています。
 つまりバッハは、当時ハンブルグに次いで輝かしい近代的生活が営まれていた有力都市ライプツィヒにおける「最高音楽監督として、市の主要教会において、あるいは他の公式の機会に教会音楽を手配し演奏する」という名誉ある職務に就いていたのでした。