続・海上保安庁ビデオ映像流出事件と、ベルリオーズの「幻想交響曲」より<断頭台への行進>

 デマゴーグが喜びそうな図式が見えてきました。犯罪を犯した中国人船長が罪を問われることなく超法規的に釈放され、一方この事件の映像ビデオを国民に公開しようとしないお上に義憤を覚え、不甲斐ないこのお上に代わって国民の知る権利を守った(?)海保士官が海上保安庁刑事告発国家公務員法違反などでの)を受け逮捕・起訴されそうになっている、という時代劇のような分かりやすさです。このシナリオは、国民の心の琴線にもろに触れます。
 もし、逮捕・起訴された場合に沸騰する海保士官に対する国民の同情と、お上への強い反感が目に見えるようです。そうと分かっていて司法当局と背後で影響力を行使する政治権力に、果たしてこの人物を逮捕・起訴する度胸があるでしょうか。取り調べの警視庁職員ですらこの行為にシンパシーを抱いているのではないでしょうか。(法匪である検察はどうかわかりませんが。)
 昔から「隠すより現る」と言います。もともと機密でも何でもない情報を、途中から、何を恐れてか政治家や官僚が国家機密と称してタンスの奥にこっそりしまおうとしていたのが、既に手遅れで、一挙にweb上に公開されてしまって大慌てをしている体たらくは、見苦しさを超えて滑稽です。逮捕・起訴すれば恥の上塗りになるだけです。大体、一定の範囲であれ、ある度流布していた情報を途中から国家機密になど出来る筈がないではありませんか。子供でも分かる道理です。
 また、ネット社会における情報管理のイロハ、その恐ろしさが今の政治家には何も分かっていないことが暴露されたのが今回の流出事件です。
 おまけに、一方では肝心の責任ある政治権力が検察の影にこそこそ隠れて明らかな犯罪行為をわざと見逃しながら、他方では”徹底調査をしろ。海保長官が悪い。機密漏えいを厳罰化しろ。”と(政治権力の代表たる)官房長官が、おどろおどろしい面貌でこぶしを振り上げ、あたりを睥睨して見えを切る。
 この分かりやすいカリカチュアのような構図は、国民に強い反感をもってアッピールする要素を持っています。怖いことです。
 こうした状況にぴったりな曲があります。ベルリオーズの「幻想交響曲」第4楽章<断頭台への行進>がそれです。誰が、あるいは何が断頭台へ一直線に突き進んでいるのか、まあ想像におまかせします。演奏は、ピエール・ブーレーズ指揮、ロンドン交響楽団です。迫力満点ですね。