続続々・海上保安庁ビデオ映像流出事件。トリックスターを演じる男と、ワグナーの楽劇「神々の黄昏」

 11月15日発売の「週刊現代」が、映像を流出させた人物は、神戸海上保安部の主任航海士の一色正春氏であることを始めて実名で記事にしました。それまでは日本テレビ系の読売テレビ(大阪)の記者が事情聴取前にインタビューをしており、テレビでもNNNの独壇場かとも思われていましたが、自己規制の甚だしい大マスコミの旧弊な矜持と制約からか、情報を握っていながらスクープを他に譲っています。。
 さて、この人物、前回トリックスターと呼びましたが、トリックスターとしての役割は果たしていますが、真正のトリックスターと呼ぶにはどうも怜悧に過ぎます。
 意外な行動に出ているようで、その実良く計算されています。まず自分から名乗り出たこととその絶妙なタイミングです。官房長官が「厳罰を!」と言って世間の眉をひそめさせる一方、世論は流出させた犯人(?)に大きな同情が寄せられている、また事件がある程度時間経過すれば話題性のポテンシャルが落ちますが、そのぎりぎりのタイミングを見計らっての乾坤一擲の勝負に出たと読めます。
週刊現代」が書くように“覚悟の告発という面もあるでしょうが、いずれ発言の機会も訪れるのは必定で、世間に名前を売るため、という側面も否定できないでしょう。私が当事者だったら、当然に千載一遇のチャンスととらえます。ただ、それを実行に移すには、大きな勇気がいることも事実です。まあ、私にはそんな度胸はありませんが・・・。
  また、弁護士を解任してみたと思えば、新しい弁護士を選任してみたり、自宅へ帰らず海保庁舎に泊まり込んで(事実上の軟禁だったのかも知れませんが・・)記者会見を拒否するなど、巧まずして将来の彼自身のマスコミ相場が吊り上がっています。なかなかやるものです。(16日午前1時過ぎに弁護士を伴い解放されています。)
 この新しい弁護士は11月17日付け(16日発売)の「夕刊フジ」によれば、東京第2弁護士会所属の小川恵司弁護士で、SMAP草なぎ剛の公然ワイセツ事件を担当した敏腕弁護士ということで、保安官を支援する知人らの紹介ということですが、有名弁護士には多額の費用もかかる筈ですから、背後に何らかの意図を持った人たちが付いていることが予想されます。(考え過ぎかも知れませんが・・・。)
 ただその後の経緯などを見ていると、彼自身の中で、次第に常識部分が優勢になってきているようです。自己弁護以外の発言がややありきたりになっています。
 さて、(疑似)トリックスター的効果は覿面(てきめん)に出ています。
 まず、意外にも、早々と本人が名乗り出たことで面食らった警察・検察は、準備不足もあって逮捕のタイミングを失し、とうとう断念に追い込まれました。さぞや意見の違いでハチの巣をつついたようになったでしょう。石垣の中国人船長の例もあって、政治の容喙を防ぐためか、決して一枚岩とは言えない警察・検察がタッグを組んでいるのも事態の深刻さを表わしています。誤認逮捕や冤罪事件、それに大阪地検特捜部の証拠改竄事件などで、殆ど脳死状態のところ、そこに追い打ちでこの事件です。組織には暗雲が立ち込め、陰鬱な黄昏を迎えたと言えるでしょう。
 海上保安庁も、官僚組織としてタガが緩んでいたとしか思えません。第一線で活動をする現場の保安官と、組織の管理を司るエリート事務官僚との間には意識や緊張感に関して、大きな乖離がありそうです。(これは想像です。)
 政治はもっと哀れです。You tubeでの投稿者名で名前を使われた官房長官は「厳罰にしろ!」の言い出しっぺということもあって世間の笑い物となり、総理に到っては果して何かを考えているのか疑わしいくらいのうろたえぶりです。都合悪くなればだんまりです。この事件は現在の政治と政治家のレベルがいかなるものか白日のもとに晒しました。黄昏どころか陽が半ば沈みかけています。
 大マスコミも例によっての体たらく、そこに寄生している評論家やコメンテーターたちもありきたりの、差し障りのない発言に終始しています。事件の後追いをして、聴く前から予想のつくような論評ばかりしているので退屈そのものです。雇用主としてのテレビ局の、ニュース番組を司る程度の低いキャスター連中への気配りと迎合ぶりも、涙ぐましいものがあります。大マスコミは黄昏を迎えました、二度と陽は昇らないでしょう。アメリカにおける大マスコミの悲惨な末路については「ルポ 米国発ブログ革命」(池尾伸一著、集英社新書)を参照ください。
 この事件は犯人(と言っていいか分かりませんが)の保安官の心理解析をしない限り真相(または深層)には辿りつけないと思います。
 前述したように、一言で言えば、彼はトリックスターを演技しようとしているのです。その結果あらゆる既成の秩序は混乱し、存在意義さえ問われかねない状況に追い込まれており、まさしく<神々の黄昏>を迎えています。もしそこまで計算しているとしたら、この人物、大した力量の持ち主と言わなければなりませんが、一方ただの僥倖によって今回の事態がもたらされたという面も否定できません・・。いずれにしろ、実像が分かるのはこれからです。
 ここで、リヒャルト・ワグナーの「神々の黄昏」から、<ジークフリートの葬送行進曲>を、これら混乱の極致に追い込まれ、黄昏を迎えつつあるこれら既成の秩序と制度に捧げます。しかし、ジークフリートを斃すハーゲンの槍の役割を果たすのはこの人物ではなく、あくまで一般国民なのです。彼はいわゆる”狂言廻し”でしかありえません。
 死にゆくジークフリートを演じるのは、ジークフリート・イェルザレム、ハーゲン役は、マッティ・サルミネンで、ジェームズ・レヴァイン指揮のメトポリタン歌劇場の舞台です。
 この葬送行進曲を日本国に捧げる日の到来しないことを祈ります。

 トリックスター概念の由来や特徴については、次回とします。