オレグ・カエターニの指揮で、シューベルト「ザ・グレート」を聴く

 久しぶりに「東京文化会館」を訪れた。前回訪れたのはいつだったのか思い出せない。
 東京文化会館で強烈な記憶にあるのは、1965年、来日したスラブ・オペラ「ボリスゴドゥノフ」の公演が演奏途中で台風で中止になったことだ。シャリアピンの再来と称された”ミロスラフ・チャンガロヴィッチ”がタイトルロールを務め、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮のN響の演奏だったと思う。私はまだ大学を出たばかりで、当時都内の某銀行の支店に勤めていたころだ。

 今回聴いたのは、都響の第757回定期演奏会Aシリーズの公演である。
 指揮は、イーゴリ・マルケヴィッチを父に持つ、オレグ・カエターニ。最初はアンリ・バルダのピアノで、ベートーヴェンの<ピアノ協奏曲第3番>だったが、曲が始まると不覚にも涙を抑えることができなかった。ベートーヴェンの何という精神の高貴さ!
 アンリ・バルダは(CDも含めて)始めて聴くが、練達の指運びで(私のシートは舞台に向かって左側の5列3番だったので、よく見えたのだ)、円熟した完璧な演奏を堪能した。後ろ姿を見て、何故か昔々ライブで聴いたリヒテルの姿を思い出した・・・。

 私はこのところショスタコーヴィチに完全に嵌まっていて、実はは9月25日のショスタコーヴィチの第7番の公演を買ったつもりで間違ってこの日のチケットを買い求めてしまった。あらためて25日のチケットも買ったが、運悪くその日は仕事で急に出張が入り職場の同僚に譲ったが、いずれにしても縁がなかったのだ。
 代わりに、10月2日の読売日響の公演、スクロバチェフスキー指揮、ショスタコーヴィチ交響曲第5番のチケットを求めた。これを書いている今日がその日だ。

 カエターニについては、福島章恭が彼のショスタコーヴィチ全集(ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ管)の演奏を推奨していたので記憶にあった。(『クラシックCDの名盤』文春新書)
 予定していなかったシューベルトだが、カエターニの指揮は実に求心力があり、都響の表現力を目一杯発揮させた最後まで間然とすることのない見事な演奏であった。少し心配していた都響の管楽器群もスムースな演奏でオーケストラと渾然一体となった素晴らしい出来であった。
 カエターニは、顔付きや長身でやせ形の指揮姿から、どこかしらフルトヴェングラージュリーニを合わせたような感じを受けた。(ジュリーニは来日時に実演を聴いたが、無論フルトヴェングラーyou tubeなどの演奏の姿を見てのことである。)

 ある面冗長であるこの曲を、退屈せずに最後まで集中力を失わせずに聴かせる力量は凄い。(この曲は独特のリズムがやや執拗で、それが冗長感を煽る。)
 この曲で、美しい旋律が楽器群を鶯の谷渡りのようにあちこち移り跳んで奏でられるのを聴く楽しさは、ライブでないと分らない。これはCDでは絶対に味わえないものだ。

 都響では、11月28日に、巨匠ヘスス・ロペス=コボスの指揮、ニコライ・ディデンコのバス独唱で、ショスターヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」を聴くことにしているが、今から期待に胸膨らむ。(普段はキリル・コンドラシン指揮のモスクワ・フィルハーモニーと、アルトゥール・エーイゼンのバス独唱という古今無比の演奏で聴いている。)