独断と偏見で選ぶこの世で最も心に響く名曲10選(その8)<大いなる眠りを誘う、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番D.960「遺作」>

 いつの頃かもう忘れましたが(10年以上は経っているでしょう)、毎夜床に就くときに、スヴャトスラフ・リヒテルの弾くシューベルトのピアノ・ソナタの第21番「遺作」(FM放送からエアチエックしたもの)を、枕元のラジカセで聴きながら眠るという一時期がありました。
 もともと(不遜にも)シューベルトなど大した作曲家ではないという先入観があり(勿論、今は違いますが)、シューベルトというよりは、ゆっくりとした天国的なテンポで弾くリヒテルの演奏スタイルが妙に私の睡眠中枢と波長が合って、途中でいつの間にか眠りにつくことがしばしばで、言ってみれば私にとって、大いなる眠りを誘う<ゴールドベルク変奏曲>みたいなものでした。  
 
 リヒテルの演奏で聴くピアノ・ソナタ第21番の第1楽章の遅さは、一体いつ終わるのかと疑いたくなるほどのもので、途中で弾くのを止めたのかとしばしば錯覚するほどです。今手元にあるCDで第1楽章の演奏時間を比較してみると、アルトゥール・シュナーベル:13分47秒、マウリツィオ・ポリーニ:18分57秒、マリア・ジョアン・ピレシュ:20分36秒、内田光子:21分59秒に対して、リヒテル:24分32秒です。最短の演奏と比べて10分も違うというのは驚きです。(ポリーニは完璧な演奏ですが、音の作り出す現象にあまねく陽が差し込んでいるようで、いささか輝かしすぎ、またイタリア人らしいカンタービレの美しさに、やや違和感を覚えるところです。)
 ただ、リヒテルはピアノ演奏に関しては、殊更“遅く”とか“長く”とかいう基本的スタンスをとっている演奏家ではありません。演奏時間が長くなっている理由は、結局、演奏を聴いて納得するしかありません。(凡庸な演奏家ですと、単に見通しが悪いため長くなることがありますが。)
 リヒテルの演奏は、音が沈黙する瞬間にも天才ピアニストの気が漲(みなぎ)っていて、油断するとだらけてしまいがちなシューベルトですが、いささかでも構成感が揺らぐというようなことはありません。聴きこむほどにリヒテルのテンポが次第に脳髄に刷り込まれて行き、遅いと感じなくなるのみならず、それが次第に魔術的(麻薬的?)な心地よさに変わっていくからまことに不思議です。悲しいまでの美しさと作曲者の諦観をしみじみと感じさせる表現にリヒテルの腕の冴えが見られますが、流麗な曲の流れの中に突如として地獄の底のような容貌が覗く瞬間があり、思わずぞっとさせられます。
 この第1楽章をリヒテルの演奏で(3分割になりますが)聴いてみます。まず第1分割(1/3)から・・・。

ピアノ・ソナタ第21番第1楽章2/3
ピアノ・ソナタ第21番第1楽章3/3
 リヒテルは来日時に一度演奏を聴きに行った記憶があります。それが一体何回目の来日時なのか、場所は東京か、新潟か、鹿児島か、さてどんな曲を弾いたのか、一切合切が記憶の闇の底に沈んでしまっています。恐ろしいまでの記憶力の減退です。ただ、ステージの左側の楽屋の袖から現れたリヒテルを見た時、がっしりとして武骨な、まるでロシアの農夫のような感じがしたことだけは、今でも視覚的にはっきりと覚えています。

 また、アルフレート・ブレンデルは15分43秒ほどでやや速いのですが、曲全体を十全に見通した、一つの規範的な演奏であると思います。
 やはり、第1楽章を2分割で。
(追記:2012年1月29日)
 アップロードしていた第21番のブレンデルの演奏の映像が削除されましたので、あらためて、(少し長いので気がひけますが・・)D958,D959,D960の3曲を演奏した映像がありましたので、ここに載せておきます。もっとも、全部聴き通すのはちょっと大変ですが・・・。
(追記:2012年7月1日)
 1月29日の映像も削除されましたが、あらためてブレンデルが第1楽章を弾いている映像を見つけました。第2〜第4楽章もyou tubeにあります。
(追記:2013年2月10日)
 これもやはり削除され、もうyou tubeにも映像は見当たりませんので、残念ですがブレンデルは打ち止めにします。



 演奏時間について言えば、上には上がいるもので、ヴァレリー・アファナシエフは何と28分13秒という気の遠くなるような長さです。これはアファナシエフのパーソナリティーというか、彼のピアノ演奏に関する特異な世界観を考慮し、別格としましょう。
 ついでに言えば、アファナシエフの演奏は、聴き進むほどに次第に心胆を寒からしめる、まるで黄泉の国から降り立ったピアニストが演奏しているのではないかと思わせるものです。川村二郎氏は、CDのライナーノーツにおいて、この演奏に対し、ドイツ語でchtonisch(地下の冥府)と形容しています。(普通の独和辞典にはないやや難しい言葉です。)好き嫌いはあっても、この曲の演奏の中で大きな存在感を持っていることに間違いありません。

 この曲が果してシューベルトの最高傑作かどうかは分かりません。シューベルトには他にも<歌曲集・冬の旅><歌曲集・白鳥の歌><交響曲第8番“未完成”><交響曲第9番><弦楽四重奏曲第14番“死と乙女”><弦楽五重奏曲 ハ長調><ピアノ・ソナタ第18番(幻想)>などの傑作がひしめいています。私見ではやはりディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの歌う<冬の旅>などのリートに指を屈しますが・・・。
 フィッシャー=ディースカウは、1966年の第2回年来日時のベルリン・ドイツ・オペラ公演で、ハンス・ウェルナー・ヘンツェのオペラ「若い恋人たちの悲歌」に出演した時に聴いています。(日生劇場)今にして思えば、なぜ「冬の旅」を聴かなかったのか、本当に悔やまれます。ヘンツェのオペラなど殆ど記憶にも残っていません。以下の映像は、同じ第2回来日時のものです。音も写りも状態はよくありませんが、フィッシャー=ディースカウ絶頂期の貴重な映像です。

 <冬の旅>では、昨年所沢ミューズで聴いたクリストフ・プレガルディエンのしみじみとした歌唱が心に残っています。
(ちなみにシューベルトの楽曲のこのところ発売されたCDでは、2008年12月のカルミナ四重奏団の<死と乙女>がとにかく秀逸でした。ー録音は2000年10月。)

 ピアノ・ソナタでは、第18番D.894(幻想)が、第21番に勝るとも劣らない名曲だと思います。これも、リヒテルの1978年5月のモスクワ音楽院大ホールでのライブが1997年10月5日にNHK/FMで放送され、それをエア・チェックしたテープをずっと愛聴してきました。(現在もテープの状態は良好で、現役ばりばりです。同じ番組で、第15番の“レリーク”も放送されましたが、こちらは1977年のフランスでのスタジオ録音ですが、これもまた素晴らしい演奏です。)
 CDの第21番の録音が1972年ですから、それより6年後、リヒテル63歳の円熟期の演奏で、まことに“幻想”の名にふさわしい融通無碍な、人生の達人による演奏です。
 以下の映像は、1977年、イギリスのAldeburghでの演奏の模様です。これも第1楽章を3分割で視聴します。

ピアノ・ソナタ第18番「幻想」2/3
ピアノ・ソナタ第18番「幻想」3/3

 この曲では、アファナシエフも恐るべき演奏を披露しています。曲の構成感が瓦解する寸前ぎりぎりまでの遅い演奏です。アファナシエフはこうした演奏技法で楽譜の奥に潜む何かを引き出したかったのでしょうし、色々と哲学的な深遠な解釈もできそうですが、これはグレン・グールドが嫌うところで、“ノンセンス”とか“音楽占い師”とか言われそうなので(4月9日の記事を参照してください)、これ以上の言及は止めにします。ただし、まことにスリリングで面白い演奏には違いありません。






 
 今回は、シューベルトの音楽の全体像について考える余裕はありませんでしたが、最後に中村雄二郎氏が「精神のフーガ」(小学館2000.6.20)の中で、テオドール・アドルノの「楽興の時」(白水社1969)に言及し、アドルノの<否定の弁証法>の「方法によって捉えなおされたシューベルトの音楽は、近代的な調性音楽の体現者がベートーヴェンであるのに対して、調性音楽を超えていく限界点に立っているものと位置づけられている。前者が、歴史のなかにあって、活動意志と実践理性の弁証法的発展にのっとったのに対して、後者は、歴史の外に立ちつつ、みずから非実態的な純粋思考に化して、別の仕方で同じ地底の深みに達するのである。」と述べているのは興味深い指摘とだけ言っておきたいと思います。