<緊急報告>東日本巨大地震と、47年前の新潟地震

 3月11日午後に発生した三陸沖を震源とする東日本巨大地震に遭遇したのは、勤め先の病院の事務室においてでした。大きな揺れを感じながら事務室の壁に手で身を支えながら、思い出したのは昭和39年に起きた新潟地震のことでした。
 新潟地震が起きたのは昭和39年6月16日午後1時1分41秒、マグニチュード7.5の大地震でした。4mの津波も発生しています。
 この年、私は新潟の大学を卒業し、4月に東京の某銀行の下町にある支店に勤務を始めたばかりでした。銀行の窓口で当座預金のテラー係をしていたとき、急に目まいを覚え、おや?体の不調かな、と思った時、銀行のドライバーが飛んで来て、新潟が地震で壊滅したと興奮して告げたのを聞き驚愕しました。何と地震の揺れのせいだったのです。急いで守衛室へ行きテレビを見ると、石油タンクの炎上の場面が流れ、町の壊滅的な状況も映し出されているのです。とっさに新潟にいる父母や妹の安否が頭をよぎり、大きな不安で居ても立ってもいられない気持ちに駆られました。翌日急きょ新潟へ行くことにし、上野駅からすし詰めの列車に乗りました。その列車も新津までしか行くことができず、新津から新潟へは別の列車に乗り換えへ、12時間ほど経ってようやく新潟駅に到着したのです。
 自宅は駅から万代橋を渡って20分ほどの信濃川に近いところにあります。勿論電気は全て消えて町は闇に包まれ、万代橋近くの昭和石油の石油タンクからはもうもうと黒煙が吹き上がり、この世の終わりかと感じたほどでした。
 翌日から家の近辺を歩き、惨憺たる災害の跡をみて歩きました。以下の写真は、古いアルバムから引っ張り出した、その時に私の撮影したスナップ写真の一部です。


 左上は万代橋から昭石の石油タンク炎上の煙を観たもの。右上は、私の母校の白山小学校前の惨状。


左上は橋桁の落下した自宅のすぐ近くの新しく作り直されたばかりの昭和橋。右上は昭和橋のたもとの惨状。



 左上は信濃川沿いの家屋倒壊現場。右上は倒壊した県営アパート。


 左上は倒壊した県営アパートの露出した基礎の惨状。右上は道路の陥没状況。




 左上はこの年「新潟国体」が行われた陸上競技場に救援のため飛来した自衛隊のヘリコプター。中央は駅前の町の様子。ビルが傾いているのが分かります。右上は家の近く(白山浦?)の通りの様子。



 左上は被災した越後線の駅舎(白山駅?)、右上はへし曲がった越後線の線路。